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日本三大火祭りの一つに数えられ、県無形民俗文化財の「能登島向田の火祭」。今年は能登半島地震からの復興祈願をテーマに掲げ通常開催された。
伊夜比咩神社での神事が終わると、神に供える灯火「御神燈の火」を運ぶ神輿に火が灯る。神輿を先頭に大小5基の奉燈は、広場まで約500メートルの道を「オイッサー、オイッサー」の掛け声と共に進んだ。道中には若衆の力強い豊年太鼓の演奏と、地元の中学生が祭りまでに練習を重ねた笛や太鼓のお囃子が響き渡った。
神輿と5基の奉燈は広場に入場すると、柱松明の周囲を7周練って神様を迎えた。観衆は御神燈の火を移した約200本の手松明を火が消えないように振り回しながら、柱松明の周りを歩き回り、壮年団長の合図で声を上げながら一斉に柱松明に点火した。
夜空に美しく燃え上がる約30メートルの巨大な柱松明に、地元住民や見物客は地震からの復興を祈った。
柱松明が今年の豊漁を示す海側に倒れ、男衆が柱松明を支えていた大木を来年の祭りに向け力を合わせて炎の中から引き抜くと、周囲からは歓声が上がった。
【写真掲載】能登島向田の火祭の様子
地震の影響で開催を巡って町会の間でも意見が割れたが、最終的には開催が決まった。準備には開催を反対した住民も加わり、子どもから大人まで一丸となって取り組んだ。
巨大な火柱が向田町の夜を彩る光景を心待ちにしながら、住民たちは世代別で役割分担して炎天下での作業に励んだ。祭りの準備は約1カ月間かけ、メインとなる柱松明や手松明の準備、奉燈の組み立て、広場の草刈りなどを町全体で協力して行い、一つの祭りを作り上げた。
【写真説明】
約150人で力を合わせて柱松明を支える綱を作る「つなねり」作業
広場への道中を照らす灯籠「れんがく」を作る児童
笛や太鼓を練習する向田町の中学生
柱松明を作る若衆
濵田幹太さん
今年から柱松明を作る作業などを手伝うことになり、準備の大変さに驚きました。頼りがいのある若衆になれるようがんばります!
5月8日:第1回祭礼委員会
この会議で今年の開催が決定
6月初め:のとじま幼保園、能登島小学校の児童による「れんがく」作り
7月初め:中学生のお囃子練習スタート
7月6・7日:奉燈洗い、つなねり
奉燈5基を倉庫から出して洗い、柱松明を支える綱を作る
7月21日:大木上げ
柱松明の芯棒となる大木や柱松明を支える大木を広場へ運ぶ
祭り前日:松明おこし、奉燈組み立て
柱松明を設置し、伊夜比咩神社で奉燈を組み立てる
地震の影響で祭りやイベントが中止になる中で開催された「向田の火祭」。向田町の人々は地域を盛り上げ、復興の活力になると信じて祭りを行い、多くの観衆を魅了した。
ここでは祭りに関わった人たちにその思いを明かしてもらった。
能登島向田町髙畑正伸町会長
当初は祭りの開催を反対していましたが、若衆の「祭りを存続させ、被災した地域を元気付けたい」という熱い思いに触れ、前向きな気持ちに変わりました。
平日の準備作業にも仕事を休んで出てきて、文句を言わずに準備を行う若衆の姿からも、「祭りをしたい」という強い気持ちが伝わりました。
当日は向田町の頑張っている姿を見せることができ、被害が大きかった地域にも元気を届けることができたと信じています。
金沢大学人間社会学域地域創造学類4年西尾祐希さん
大学の研究で向田町の祭り文化に興味を持ち、去年の秋から向田町に通っています。町の人たちには、よそから来たのにまるで家族のように温かく迎え入れてもらえてうれしかったです。
町全体で祭りを盛り上げようとしていることには特に感動しました。これは自分の暮らす地域にはないことで、住民同士の団結を強く感じました。
私は正直「今年は無理だろう」と思っていたので、地震後の開催を決めたことにとても驚きました。同時に「祭りを絶やしてはいけない」という心意気が伝わり、町の人の祭りを愛する気持ちに胸を打たれました。
調査を通じて、祭りのことも町の人たちのことも大好きになりました。これからも祭りを続けるため、私も力になりたいです。
向田壮年団梅田耕輔団長
祭りが近づくと市外に出た人も地元に帰って準備を手伝い、普段は顔を合わせない近所の人ともお互いの近況を確認しながら作業を進めています。他の地域から祭りに興味を持って手伝いにきてくれる人もいます。祭りを止めてしまうのは楽だと思うけど、祭りが地域の結束を強め、新たなつながりを生んでくれていると思います。
地震で大変な状況下でも「祭りをしたい」と強く思ったのは、コロナ禍で祭りができなかったときに「町全体に元気がない」と感じたからです。祭りができない期間は自分自身の気持ちも下がり、改めて「俺って祭りが好きなんやなあ」と実感しました。きっと他の住民もそう感じていただろうし、こんなときだからこそ復興の活力にするために祭りをするべきだと思いました。
地震の被害が大きく、祭りをしたくてもできない地域が多くある中、祭りができることに感謝しながらこれからも祭りを続けていきたいです。
人口も世帯も少なくなる中で、祭りを通して確かに感じる地域の絆。周囲との協力が大きな活力になるということを向田町の人々は示してくれた。
市全体にこの活力が広がり、復興につながることを願っている。