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七尾城跡は、昭和9(1934)年に国の史跡に指定された日本屈指の戦国時代の山城。日本五大山城の一つとされ、日本100名城にも選ばれる本市が誇る歴史遺産です。
市は3月に史跡七尾城跡保存活用計画を策定して今後の七尾城跡の保存や活用、整備の方針を示し、市民と行政が連携して山城と城下の価値を守り、学び、楽しみながら次世代に確実に伝えることを目指します。
12月10日、七尾中学校でフォーラムが行われ、平成27年度から実施したレーザ測量図を初公開しました。計画策定に携わり、城や能登畠山氏を研究する専門家が、来場した約160人を前に明らかになった七尾城の全体像や歴史を解説し、今後の七尾城跡の保存と活用について熱く語りました。
石川考古学研究会顧問
谷内尾晋司
七尾城跡は戦前に国の史跡に指定され、その重要性は早くから認識されてきました。指定当初は6・8ヘクタールでしたが、公共工事に伴う遺跡調査によって想定を超える遺跡の広がりと、大規模な曲輪などの遺構が良好に残っていることが判明しました。将来にわたって保存できるように追加指定に取り組む必要があります。能越自動車道建設の際、追加指定を目指すエリアの真上を通るルートが発表された時は、遺構を守るために国と協議を重ね、重要遺構を避けるようなルートや工事方法に見直されました。市は平成27年度までに本丸や二の丸周辺など城郭中心部を公有地化し、史跡整備に向けて取り組んでいます。
また、七尾城史資料館や七尾城まつり、七尾城山を愛する会の活動、日本100名城スタンプラリーなど、七尾城跡の素晴らしさを広く知ってもらう活用の取り組みが行われています。七尾城跡の登山者は年間2万人を超え、県外からの来訪者が多くなり、ボランティアガイドはろうななおの説明は評判がよく、観光地として定着しています。
奈良大学教授
千田嘉博
現在の七尾城跡は木々が生い茂り、緑が美しい一方で、400年前の七尾城の様子は分かりにくい状況です。今回が初公開の七尾城跡のレーザ測量図は、樹木が無い当時の城の状況を見ることができます。従来はなかなか見ることができなかった堀や土塁などの遺構を正確にとらえることができ、初めて七尾城の全貌が解明できました。これは七尾城跡の価値が急激に高まる画期的な調査結果です。城下町から山城まですべてが残る戦国時代の拠点城郭は、全国でも七尾城跡だけで、遺跡の国宝である特別史跡に匹敵する歴史的価値があります。まずは市民の皆さんにこのことを理解していただき、日本中のお城好きに広めてほしいです。
金沢学院大学名誉教授
東四柳史明
「七尾」の名称は、永正11(1514)年に初めて確認されます。その11年後には七尾城内の第7代畠山義総の館で歌会が行われていることから、この頃には七尾城が整備されています。史料によると戦乱時の七尾城では籠城策が取られていましたが、このたびのレーザ測量図で明らかにされた大型の屋敷地はこうした記録を裏付けするものと思われます。上杉謙信の書状から、今回明らかにされた七尾城の全容は畠山氏の段階に整えられたものだと改めて考えさせられます。
七尾城山を愛する会の会長を務める国分秀二さんが加わり、七尾城跡の今後の取り組みが議論されました。
毎日のように七尾城跡に登る国分さんは「城跡だけでなく、豊かな自然も残してほしい」と話し、熊出没の可能性やイノシシが石垣や遊歩道を荒らしている状況に危機感を募らせました。
東四柳さんは「能登畠山家は戦国大名として地味なイメージがあるが、文化活動を盛んに行うだけの経済力があり、戦国大名の中でも長く生き延びてしっかりと国を守った立派な大名です。地元の我々がもっと評価をするべきです。金沢城より先に特別史跡になるように取り組みましょう」と参加者に向かって語り掛けました。
千田さんは「市民が、七尾城跡はまちの宝であり、素晴らしい史跡だから調査を応援しよう、整備してまちづくりをやっていこうとする思いを寄せてほしい」と期待しました。
谷内尾さんは「昭和9年以前に史跡になった城跡のほとんどが特別史跡に指定されています。七尾城跡も特別史跡を目指して頑張りたいと思います。七尾城跡は大変広く、整備や活用は行政の力だけではなかなか難しく、市民のボランティア活動などが不可欠です。そのためには七尾城跡の情報を発信し、理解を深めることが大切です。市民の皆さんの意見を反映させながら、今後も取り組んでいきます」とフォーラムを締めくくりました。