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「能登のま菜茶」
売上げ寄付金贈呈式
健康になって農業振興につなげよう
七尾市役所
能登わかば農協では、昨年4月から中島菜入りペットボトル緑茶「能登のま菜茶」を販売。平成24年度の売上本数は8万本を超え、目標の7万本を上回った。氣戸佐俊組合長をはじめ関係者が販売実績の報告と、農業振興の活性化を支援するため、売上の一部(329、393円)を七尾市に寄付した。中島菜は、血圧上昇を抑制する効果がある成分を含むことから近年注目を浴びている。今後も「能登のま菜茶」の売上アップと、農業振興につながる取り組みに注目したい。
街を美しく支隊
結団式
私たちの住む街は私たちの手で
七尾市役所
『街を美しく支隊』は、七尾みなと保育園と東みなと保育園の園児が中心となり5年前から清掃活動をしている。今年度の結団式では、園児全員で「みんなの住んでいる七尾市が綺麗になるようがんばります」と元気よく誓い、七尾市長から「頼りにしています」とごみ袋が贈呈された。
今後は、青柏祭や大きなイベントの後に、会場の清掃に取り組む。小さな隊員たちの活動に市民も感銘を受け、街の美化推進とともに一緒に活動する人たちが増えるのでは。
能登半島観光案内所オープン
七尾線に新たな情報発信基地
JR和倉温泉駅
北陸新幹線金沢開業に備え、JR和倉温泉駅に能登半島観光案内所がオープンした。和倉温泉駅は、能登半島に鉄道で訪れる際の玄関口であることから、観光客の利便性を向上することが目的。関係者の皆さんは「日本のおもてなしの心は和倉温泉にあり。お客様の思い出のページが増えるよう、努力していきたい」と語った。
おもてなしの温かい心で対応することで、新たな観光客の創出やリピーター増加が期待される。案内所の営業時間は午前9時から午後5時まで「七尾線おもてなし隊」の3人が常駐する。
こいのぼりを揚げよう
子どもたちの健やかな成長を願って
七尾市役所
5月5日の『こどもの日』にちなみ、市内3園から参加した園児が七尾市役所前で、こいのぼりを揚げた。園児たちは「こいのぼりのように元気に大きくなります」と元気に挨拶。その後、不嶋市長とこいのぼりを揚げた。青空の下、子どもたちは、空高く舞い昇り、風にはためく色鮮やかなこいのぼりに大喜びだった。
また、ひまわりの種が入った風船を飛ばし、どこかで綺麗なひまわりの花が咲いてくれることを願った。子どもたちには、こいのぼりのように、元気にたくましく育ってほしい。
第10回花嫁のれん展
花嫁道中
一本杉通り
今年で10回目を迎える花嫁のれん展の開幕イベント、花嫁道中。今年の新郎新婦は、和倉温泉の旅館で若女将をしている多田直未さんと、タイ出身のウォラウットティップウォンさん。国際結婚の二人が花嫁道中を行うのは初めて。
新婦は「天候にめぐまれ沢山の人に祝福されて感謝しています」と幸せそうに語った。日本の伝統文化に触れた新郎は「初めてのことで緊張しました」と、上手な日本語で話した。また多くの人に祝福され七尾の良さを感じてくれた様子。末永くお幸せに。
大きくなあれ椎茸栽培
食育体験
やまと保育園
七尾市赤十字奉仕団は、子どもたちに身近な食材の成長を通して、食への関心や命の大切さを感じてもらおうと、毎年椎茸の育て方教室を開催。
園児たちは、穴の開いた原木に菌を入れることで、椎茸ができることに驚きながらも、一つ一つの穴に心を込めて埋めていった。
この後、原木は山で管理。10月頃に保育園に運ばれ、園児たちが水をあげながら成長を見守る。園児らは、小さな菌からどのように椎茸が成長するのか、秋の収穫を心待ちにしていた。
100歳の誕生日
おめでとうございます
寺田ナカさん
辻口医院
「おめでとうございます」と声をかけると「ありがとうございます」と応えてくれたナカさん。新聞を読むことが好きで、95歳ごろまで毎日欠かさず新聞を読んでいた。また、話好きで、取材中も一生懸命、いろいろな話をしてくれた。
長男の良春さんは「無理をせずに農作業をやり、自分の好きな新聞やテレビを見て過ごしたことが、長生きの秘訣では」と語った。これからも心穏やかにお過ごしください。
交通安全教室
交通ルールを確認しよう
北星小学校
北星小学校では自転車の乗り方や横断歩道の渡り方など、正しい交通ルールを身に付けるため、毎年交通安全教室を行っており、今年も七尾警察署や保護者の協力の下、体育館で交通ルールを習った。「横断歩道では青信号は進めではなく進むことができる」と考え慌てず左右を確認して渡るよう指導があった。
自転車の乗り方では、左右だけではなく、後方を確認するようにとの指導も。児童は「気をつけようと思った」と交通ルールを再認識していた。