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長年にわたりそれぞれの分野で尽力された方々が、栄誉に輝かれました。
元石川県田鶴浜町長
田鶴浜町 赤坂 隆 70歳
幼ない頃、祖父の膝の上で「世のため、人のため」とよく聞かされた。その言葉は、今も赤坂さんを突き動かしている。
36歳で旧田鶴浜町の議員となり、議長などを歴任。平成15年には町長に就任し、合併までの1年半、町政の発展のために奮闘した。「町長としての責任は重たく大変だった。世のため人のためという信念でやってきた」と当時を振り返る。「家庭を顧みず仕事ができたのは、妻のおかげだ」と内助の功に感謝。
これまでに大きな病気に直面し、死を感じたことがあった赤坂さん。「その時、自分の過去を振り返ることができたことで世のため、人のためという信念をより強く再認識した」と話す。
今は下水道管理会社で常務取締役を務め、社長や社員の相談役として働いている。「今後は、自分の得た知識を後輩に伝えていきたい」と意欲をみせる。
元石川県クリーニング環境衛生同業組合理事長
田鶴浜町 神戸 宏和 75歳
昭和42年、旧田鶴浜町でクリーニング店を開業。妻の実家がクリーニング店をしていたことがきっかけだった。「他店との競争など苦労することもあったが、満足と品質を第一に考えてやってきた」と話す。時代のニーズに合わせた技術向上や、省エネを心がけること、地下に浄化槽設備を設置し環境に配慮するなど、地域に愛されるクリーニング店を目指した。
また、県クリーニング環境衛生同業組合の理事長などの要職を歴任。多様化する繊維製品に対応するため講習会を開催するなど、業界全体の発展にも尽力。「この受章は、地域の人の理解や支えがあってこそ。私一人の力ではない」と地域の人や関係者への感謝を忘れない。
地域では、民生委員を24年間も務め、悩みを持つ人のよき理解者として活動している。「和をもって解決が一番」と話すそのやさしい表情から、ひた向きな姿勢が伝わる。
元日本郵政公社職員特定郵便局長
和倉町 立川 渉 72歳
和倉温泉郵便局長や、能登地区の特定郵便局長業務推進連絡会長を務め、42年間郵政の業務向上に尽力。地域に愛される郵便局を目指した。退職後は、和倉温泉の源泉供給会社の社長として和倉の発展に力を注ぐ。和倉の話をする温和な表情は、和倉への思いに溢れていた。
元日本郵政公社職員
江曽町 松原 秀雄 66歳
七尾郵便局の配達員として42年間、雨の日も雪の日も郵便物を配達した。「昔、雪がひどい日は歩いて配達したこともあったが、配達先でお礼を言われたことが何よりも力になった」と話す。「仲間にも恵まれ、いいチームワークで仕事ができた」と充実感に満ちていた。
現七尾市第2消防団副団長
中島町藤瀬 辻 正明 63歳
昭和52年から消防団員となり、分団長を務めるなど地域防災に尽力。「自分の町は自分で守る」という使命感のもと、今でも団員を続けている。後輩から「消防団に入って良かったと言われたことが、この上ない喜び」と話す。町を守る信念を受け継いでもらうため今後も後進の指導に当たる。
元1等陸尉
中島町塩津 脇本 伸一 61歳
自衛官だった伯父に憧れて陸上自衛官となり、35年間務めた。「たくさんの人たちの支えがあって職務を全うすることができた」。好きな言葉は「一所懸命」。これまでにさまざまな業務で奮闘した話をする姿に、何事にも一途に取り組む姿勢を感じた。
元七尾鹿島広域圏事務組合消防司令
能登島向田町 開化 三智男 70歳
昭和46年から消防士として32年間勤務。一人で勤務することが多かった当時を「万が一の時には、地元の消防団が頼りだった。感謝している」と振り返る。火の怖さを誰よりも知る開化さん。「火が、確実に消えているか確認することを心がけてほしい」と強調していた。
元神奈川県警部補
中島町豊田 中村 純一 72歳
東京で生まれ、昭和34年から35年間、神奈川県警察に勤務。10年間、機動隊として危険な警備などに就いた。「毎日のトレーニングで培った体力は、今も警備員の仕事で役立っている」と話す。取材中、背筋が伸びたままの対応から、今でも警察官らしいきりっとした空気を感じた。