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布 辰巳さん(一本杉町)70歳 七尾仏壇漆塗部門伝統工芸士
「振り返れば、長くやってきたなぁ。苦労はあったかもしれないけど、がむしゃらにやってきたから苦労は感じていない」と職人として、半世紀の人生を振り返る布さん。
「世の中はいろいろ変わってきたけど、職人の世界は変わっていない。弟子は3人いるけど、今も変わらず、私が見習いのときと同様に、見て覚えるを徹底している。親方がどんな道具を使って作り上げるのかなど。この立場になっても他の職人の話を聞いて研究するんだよ。熱意が一番だね」と職人として、親方としての姿勢を熱く話す布さんだった。
米村正勝さん(矢田新町)69歳 七尾仏壇彫刻部門伝統工芸士
「親も同じ彫刻職人で、その姿を見て育ったから、職人になることはためらいがなかった。一本の材木から一つの作品を生み出す喜びがいいんだよ。神社や仏閣など、大きな仕事を手がけて完成したときの達成感はひときわうれしいんだよ」と彫刻の美学を話す米村さん。
「一意専心と創意工夫。この言葉を胸に彫刻師としての誇りを感じ、がんばってきた。歳はとったが、この機会を自分自身の励みにしてがんばりたい」と話す米村さんを見て、木に魂を入れる彫刻師としての姿がさっそうとしていた。
小田禎彦氏(和倉町)71歳
和倉温泉の代名詞を成熟させる
自身が身をもって実現する「おもてなしの心」は、和倉温泉に携わる人の手本となり、和倉温泉の代名詞となっている。さらに会長を務める「加賀屋」は、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館・100選」で31年連続総合日本一に選ばれ、和倉温泉における大きな自信と誇りにつながっている。
また、和倉温泉旅館協同組合理事長や石川県観光連盟副会長などの要職を務め、観光庁からは「全国観光カリスマ100選」に認定されるなど、日本の観光業界にとっても欠かせない存在となっている。
また、港湾を活かしたマリンシティ構想の実現に指導力を発揮し、マリンシティ構想のモデルになったアメリカ・モントレー市との交流を深め、「モントレージャズフェスティバルIN能登」の開催にも尽くした。
昭和63年から現在まで、七尾商工会議所副会頭として地域経済の発展に大きく貢献し、今や日本の経済界を担う一人として全国各地で活躍している。
小田さんのコメント
今度、栄えある七尾市文化産業賞を賜わり、広く市民の皆様のお陰と感謝します。長らく、「観光の果たす役割とその社会的存在意義」を信じつつ、旅館業として能登、そして和倉の地から「おもてなしの心」を発信してきました。今後とも「加賀屋の流儀」を磨き「和の心」を世界に発信し、地域振興に貢献したいと思います。
清水義一氏(栄町)72歳
等伯の偉業を広めた第一人者
七尾が生んだ画聖長谷川等伯を後世に伝える「等伯会」の事務局長として平成8年から15年間、等伯の顕彰や「等伯会」の発展と会員拡大に努めてきた。
特に、「等伯会」会員の夢であった国宝「松林図屏風」の複製が完成したときには、自分自身の夢が叶った瞬間であった。
そして、自身の書家活動も幅広く、平成18年から平成21年まで七尾美術作家協会会長を歴任し、市美術界の指導的な役割を果たした。
さらには、日展作家として、日本書芸院一科審査会員、読売書法会理事、県書道協会理事長、現代美術展審査員なども務めている。
このほか、平成9年から七尾市図書館友の会会長を務めており、図書の充実、普及活動などにも熱心に取り組んでいる。
このように、書家活動などを通して七尾市の芸術文化の発展に大きく関わり、画聖長谷川等伯の偉業を広めた第一人者といえる。
清水さんのコメント
自分ひとりでは何もできない。周りの人たちは私を危なっかしいと思い手伝ってくれる。それはどの場面でも同じで、周りの人たちに勧められるまま、押されるがまま今日まで来た。多くの先輩、後輩はどなたも同じ気持ちで支えてくださり、ご指導賜わる。そういう人の中に自分が混じっていたことは、大変うれしいことであり、幸せ者だと思います。
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