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更新日:2014年12月25日

2~13ページ

七尾市の過去・現在・そして未来 過去を知り、現在を理解し、次へ

七尾市の人口推計2015年

54,067人

マイナス18,187人(33.7%減)

2040年

35,880人

参考資料

平成25年3月国立社会保障・人口問題研究所将来推計人口

七尾市の人口比率

2015年

0から14歳11.0%

15から64歳54.1%

65歳以上34.9%

2040年予想

0から14歳9.2%

15から64歳47.1%

65歳以上43.7%

参考資料

平成25年3月国立社会保障・人口問題研究所将来推計人口

七尾市は、古くから能登半島の中核都市として、特に港を中心に商業や文化の中心地として栄えてきた。昭和20年の終戦から8年が経過したころ、町村合併促進法が制定されたことで、昭和29年に旧七尾市、田鶴浜町、中島町が誕生。そして翌年の昭和30年に能登島町が誕生した。その5年前の昭和25年、七尾市の人口は、7万6千255人に達し、史上最大の人口を記録した。しかし、昭和25年をピークに、年平均約312人ずつ減少し、平成26年11月30日現在、5万6千257人となっている。ピーク時から1万9千998人も減少したことになる。これからの七尾市の人口はどうなっていくのだろうか。現在の七尾市は、自然動態(自然動態とは、一定期間における出生・死亡に伴う人口の動き)や社会動態(社会動態とは、一定期間における転入・転出に伴う人口の動き)に歯止めが効かない。自然動態では、平成7年から減少が続き、平成25年には出生が338人に対し、死亡は803人、差し引くと465人の減少となっている。また、社会動態では、転入が1,242人に対し、転出は1,568人、差し引くと326人の減少となっている。自然動態と社会動態を合わせ、年間791人が減少となり、今後も加速すると予想されている。

また、少子高齢化も急速に進んでいる。年少人口(年少人口とは、0歳から14歳までの人口)では、昭和60年に1万5千184人、平成22年には6,933人で、8,251人の減少。老年人口(老年人口とは、65歳以上の人口)では、昭和60年に9,963人、平成22年には1万7千127人で、7,164人の増加となっている。

さらに、他にも人口が減少している要因がある。子どもたちは高校卒業後、進学希望が増えている。七尾市には大学や短期大学がないため、都会へ行く若者が増える現状がある。また、都会へ進学した子どもたちや高校を卒業した子どもたちが、都会への就職希望も増えている。つまり、七尾市で生まれ育った子どもたちが成人しても七尾市に帰って来ない傾向が生まれている。

七尾市では、交流人口を拡大し、経済効果を期待する取り組みや移住定住の促進など、人口減少対策としていろいろな施策を行っているが、効果が表れるまでには時間が必要である。

そういった現状を踏まえ、市民一人一人がこれからの七尾市をどう考え、行動していかなければならないのかを考えてみたい。

知ってますか?今の七尾はこんなところ。

出生

1日に0.93人

死亡

1日に2.20人

婚姻

1日に0.58組

離婚

1日に0.24組

家族

1世帯あたり2.66人

転入

1日に3.40人

転出

1日に4.30人

ごみの排出量

1日に58.5t

市の予算

市民一人あたり116万7,870円

守りたい「七尾」がある

私たちが住む「七尾市」。

皆さんは、守りたいものと言えば何があるだろうか。

同じ七尾の地に住む人であっても、

共通するものもあれば、

地域や町など、違う生活習慣があるため、

それぞれに違う場合もあるだろう。

 

平成23年6月、世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」。認定された要因は、能登の人たちが能登の里山里海を愛し、昔からある伝統や風習、文化を大切に守ってきたことが挙げられる。先人たちは、自然からの恵みに感謝し、守り続けてきた。そういった環境の中から、祭りや文化、伝統工芸や食文化などが誕生し、現在まで受け継がれている。

七尾は、全国でも有数の祭り天国。桜が咲き誇る春から収穫を終える秋まで、絶え間なく各地で行われる。その中でも、七尾の四大祭りとして挙げられるのが「青柏祭」や「向田の火祭」、「石崎奉燈祭」や「お熊甲祭」である。

これらは、多くの人が参加して成り立つ祭りだが、共通して大きな問題に直面している。それは近年、一番必要とされる若い衆が著しく減少してしまい、他の地域や友人などの協力を得なければできない状況となっている。

しかし、祭りを開催する町の人たちは、人口減少や少子化などの背景を理解し、伝統をしっかりと守り、時代の変化にも柔軟に対応している。これは、先人たちが守ってきた歴史ある祭りを、存続させなければならないという心意気からである。

漁業や食の分野でも、時代の流れに対応した取り組みが行われている。漁業では、戦国時代から定置網漁業が盛んに行われてきた。さかのぼること1579年(天正7年)、織田信長に出世魚であるブリを献上した記録も残されており、定置網漁業の発祥の地の一つとされている。

こういった昔ながらの漁法を守りながらも、七尾で水揚げされる魚は、「素早く沖しめ」、「きちんと鮮度管理」を実践している。そして「七尾いきいき魚」というブランド名を付けて、特徴を持った価値ある魚として、全国各地へ発送している。

さらに、水揚げされたばかりの新鮮な魚に手間暇をかけ、付加価値を付けた水産加工にも取り組んでいる。

また、七尾などで獲れた多種多様な魚介類を、市内の寿司屋で味わえる「すし王国能登・七尾」と称し、訪れる観光客たちを魅了している。

そして、七尾市の代表的な産業といえば和倉温泉。開湯1200年以上の歴史ある和倉温泉の旅館は、観光客のニーズの多様化などから減少。そういった問題を打破するため、観光だけではなく、スポーツ合宿に来る選手たちの受け入れも積極的に行うようになった。例えば、夕食は、観光客には従来どおりの御膳で対応し、選手たちには、カレーライスやトンカツなどを提供。料金も安価な設定で、旅館という枠にとどまらず利用者のニーズにあった対応を行っている。関係者の努力が功を奏して、全国各地から選手が集まり、七尾はスポーツ合宿のメッカとなっている。

これら以外でも、田鶴浜建具や七尾仏壇などの伝統工芸、演劇の町として進めてきた日本に誇れる演劇文化など、先人たちから受け継いだものだからこそ、どの分野も必死に、そして時代にあった手法を取り入れ、柔軟に守り続けているのである。

このような対応は、地域や町などでも同じことがいえるのではないだろうか。人口が減っていく中でも、祭りの伝承、防災や福祉など、住民自ら、先を見据えた取り組みが必要となってきている。

未来のために私たちが、今できること

自分たちの住む地域で少子高齢化が進んでいることは知っている。住む地域を守るため、行動を起こさねば!

ここでは、そんな思いを持って取り組んでいる地域や団体をご紹介します。

釶打ふるさとづくり協議会

会長 寺 政孝さん

釶打地域には、地域への危機感を持った有志で立ち上げた「釶打ふるさとづくり協議会」がある。当初は、地域にある資源を活用し、地域おこしをすることから活動を始めた。年間6万人(ピーク時)が訪れていた「藤瀬の霊水」に目をつけ、「藤瀬霊水公園」を整備。その後、住民の気運も高まり、定期的に開催できていなかった郷土芸能祭に、なたうち茶屋まつりも加え、交互に定期開催するようになった。「地域の危機感」が住民に共有されたのである。

また、これからの動向を知らなければ対策もできないとアンケートを実施。その結果から、七尾市よりもいち早く取り組んだ空き家対策や、釶打米のブランド化を進め、農家の収入向上対策を実行した。さらに、平成22年に地域住民の参画によるNPO法人なたうち福祉会を立ち上げ、高齢者の病院への送迎や買い物代行、安否確認などを積極的に行っている。寺政孝会長は「危機感を感じれば話し合いが生まれ、地域課題の意思統一が図られる。そして、打開に向けた第一歩が踏み出される。そう考えると、常日頃の話し合いの場が大事。今後を託す担い手も見つかったので、末永い活動を続けられればと思う」と、釶打地域に希望が見えていることを語ってくれた。

 

南大呑地域づくり協議会

地域づくり専門員 前田 忠さん

南大呑地区は、市内の中でも、少子高齢化や人口減少が著しい地域。そのため、住民相互の連携や協力体制がとれる地域づくりをいち早く目指し、市内で一番早く地域づくり協議会を立ち上げた。

そして、協議会でもっとも奮闘して活動するのが前田忠さんだ。「少子高齢化や人口減少の問題は、地域で解決できることではないけれど、地域でできることは、やらなければならない。福祉や防災の分野で、私たちに何ができるだろうかと考え、一歩一歩進めている。高齢者が多い地域に、もしものときに何が必要かを考えた時、町会ごとの防災マップが必要と考えた。消火栓や避難場所など、地域をくまなく調べ、町会ごとの防災マップを作成し、全世帯へ配布した」と、常に地域のことを考える姿勢はさすがだ。

柳浦勝会長は「地域づくりに関する専属の職員がいることは、本当にありがたい。新しいことを生み出すことが難しいこの地域で、積極的に活動してくれる前田さんには、感謝ですね」と、その期待も大きい。

前田さんは「これまでにいろいろなことができたのは、住民の皆さんの協力があるから。本当にありがたい」と話す。

地域や人と人とのつながりを考えながら、今後も地域の原動力となっていくことだろう。

 

すみれ会代表 川田 武子さん

「すみれ会」は、旧能登島町の時に始まった、高齢者世帯へ配食サービス用の弁当づくりをする有志団体。会員数50人を誇り、今でも月に2回、継続して高齢者世帯のための弁当40食を作り続けている。高齢者からの味の評判は良く、配食サービスを心待ちにしている高齢者は少なくない。会員たちも、期待に応えようとやりがいを感じて活動をしている。

そして、平成26年6月から能登島地域づくり協議会が企画した「のとじまコミュニティカフェごはん処島のいっぴき」の事業で、運営面での中心的役割を担う活動も始めた。

この事業では、毎週土曜日、廃園となった向田保育所を利用して、ほぼ能登島産の食材で作った食事を提供。特に高齢者が家に閉じこもらず、その場で楽しいひとときを過ごしてもらう憩いの場を提供するのが狙い。また、能登島地区以外の人も自由に食事をすることができる。能登島を訪れた観光客は「懐かしい味。昔、こんな料理を食べたよね。今では、ひと手間かけた料理を食べることがなくなったよね」と、手の込んだ料理に話題が広がり、旅の思い出の1ページに一役買っている。

代表の川田武子さんは「皆さんの家で作った野菜などを持ち寄ってやりくりしています。大変やけど、喜んでくれるからうれしいわいね。私たち会員の生きがいにもなってるよ。元気な限り、地道にこの活動を続けていくけれど、私たちももうすぐ提供される側になるからね。次の課題は引き継ぐ担い手が育ってほしいね。そうなれば、能登島になくてはならない拠点となるはず」と胸の内を明かしてくれた。

いくつかの課題はあるものの、「すみれ会」は、地域や人と人とをつなげる能登島の大きな存在となっていることは言うまでもない。

 

NPO法人ぽっかぽか

理事長 滝 恵美子さん

「ぽっかぽか」は、平成18年に設立。子どもたちが健やかに育つ環境と、親が安心して子育てができる地域社会づくりを目指して「親子ふれあいランドあい・あい・あい」の施設を中心に活動している。現在のスタッフは28人。保育園を退職した保育士や栄養士、調理師や介護ヘルパー、そして壊れたおもちゃを修理してくれる人など、いろいろな資格や技術を持ったスタッフで活動している。さらに、ほとんどのスタッフはボランティア。皆さんは「子どもたちのために」を合言葉に、善意で運営に協力してくれている。

「少子化で子どもが減っているからといって子育てが楽な環境になっているわけではありません。地域の変化や、昔と違った問題が生まれ、複雑化しています。地域や人と人とのつながりが希薄化していく中で、私たちができることは何かを考えて取り組んでいます」と話すのは、責任者である滝恵美子理事長。

平成18年に、七尾市にしかない子育て支援を求め、おもちゃ図書館を始めた。おもちゃ図書館とは名の通り、おもちゃの貸し出しをすること。子育てが終わった家族からおもちゃを譲り受け、おもちゃが必要な子育て家族へ貸し出すという、理にかなった取り組みをしている。そして、壊れたおもちゃを修理する取り組みなども行い、親からの評判は高い。

夫の仕事で、各地へ転勤するお母さんからこんな話を聞いた。「いろいろな場所で生活しましたが、雰囲気がよく、料金も手ごろで、土日も利用できる施設はこれまでなかったですね。また引越しするかもしれないがせめて小学校に入学するまでは七尾で生活したいですね」と。

滝理事長は「高齢化が進む中で、高齢者に対する見回りや配食サービスなどの取り組みが進んでいますが、子育てに対する取り組みが進んでいないように思えます。ぜひ、地域で少子化に向き合い、支え合う環境になってほしいですね」と切実に話した。

能登が大好き!

世界の視点で見てもすごくステキな場所

ハウエル・マーク・エドモンドさん

住所:南藤橋町

出身:アメリカ・カリフォルニア州

職業:英語教師

ハウエルさんは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校に在籍している時、世界の歴史を専攻していた。なかでも日本の歴史に一番興味を持ち、日本に行ってみたいと思うようになり、英語の講師として来日(金沢市)。平成15年には七尾市にあった英会話教室の講師を務めた。その後、独立をして、今では七尾高校をはじめ、いろいろな学校で英語を教えたり、自ら英会話教室を開いたりと忙しい日々を送っている。また、七尾市の女性と縁があって結婚。小学1年生になる子どもと幸せに暮らしている。そんなハウエルさんに七尾のことを聞いてみた。「故郷ではロサンゼルス近郊の都市に住んでいたので、最初は七尾市での暮らしが心配でした。けれど、七尾市の暮らしが私に合っていたのでしょうね。後でよく考えると、いろいろな人に助けられていたんです。最初の英会話教室の経営者の方や奥さんの両親、英語を教えた生徒の皆さんや私と接してくれた多くの人たち。本当に出会いに恵まれていると思います。これまで楽しく七尾市で生活できたのも、七尾の人の気持ちが本当に温かいからだと思っています」と、常に七尾の人たちへの感謝の気持ちは忘れないと語ってくれた。「七尾市は、人と人とのつながりやコミュニティがすごくいいですね。祭りの団結力や地域の連帯感は素晴らしい。七尾に住む皆さんは、当たり前のことだと思うかもしれませんが、改めてそんな雰囲気を誇りに思ってみてはどうでしょうか」と鋭い視点から語るハウエルさん。「七尾市には祭りや食、人の心など、世界に自慢できるものがたくさんあります。私の願いは、そんな素晴らしいものを守り、子どもたちに伝えていってもらうことです。私の子どもも、将来大学進学などで一度は都会に行くと思いますが、必ず七尾市に戻ってきてほしいと願います。こんな地域は他にないと思いますから」と七尾市民としての願いを込めて語ってくれた。

七尾が大好き!

写真のキャプション

平成26年10月に東京で開催された「日本橋・京橋まつり」で、能登の奉燈を披露しようと、田村さんが中心となって準備してきた七尾市出身のメンバーたち。東京のど真ん中で奉燈を披露し、多くの観客を魅了させた。左から、西田大和(石崎町)、田村祥太(阿良町)、霞流隼大(石崎町)、清水大輝(湊町)、下段大岡良輔(魚町)

故郷のために!ボクができることをやる

田村祥太さん

住所:東京都練馬区

出身:阿良町

七尾の祭りが好きで好きでたまらなく、大学進学の時に、故郷七尾を離れることをためらったという田村さん。大学卒業後、必ず地元へ戻ってくると心に誓って上京してから4年。平成27年4月から、県内の企業に就職することが決まり、念願の故郷へ戻って来ることになった。「七尾で生活をしていたときは、何もかもが当たり前で、七尾の何がいいのかがわかりませんでした。故郷を離れ、東京で暮らしていると、地元の素晴らしさに気づくことがあるんです」と、都会での経験と故郷への思いを話し始めてくれた。「東京では、個人の生活が中心で、人を気遣うことがないと思うときがあります。そんな時、七尾の祭りを思い出すんです。お互いを常に思いやり、人を包み込んでくれるような、そんな温かい雰囲気を。また、四季を感じることもなくなりました。特にこれから雪の季節なので、七尾の冬が恋しくなります。あと食べ物ですね。居酒屋でアルバイトをしているからか、七尾の魚に関心を持つようになりました。これから魚のおいしい季節ですね。七尾の魚を食べたいです」と故郷七尾に思いをはせていた。田村さんは、七尾に戻る目的意識も明確にしている。「テレビなどで、少子高齢化とか人口が減少していくとよく聞きます。そんなことになると祭りにも影響が出てきます。私は、全国に誇れる七尾の祭りの担い手になりたいと思います。そうなることで、私を育ててくれた親や地域の人たちに恩返しになると思っているからです。社会人としてこれからですが、七尾には、祭りや食べ物、人や風土など、日本に誇れるものがたくさんあります。世代が代わっても受け継がれるような七尾であってほしいと思います。都会で感じたものを大事にして、4月から地元に戻って頑張りたいと思います」としっかりとした考えを話してくれた。

受け継がれる七尾魂

創業:平成4年

花園陽一商店

花園 恭輔さん

小学生の頃を振り返ると、父は朝早くから仕事に出かけていたため、起きてもいないという毎日。そうやって、父が頑張っている姿を見て育ったからか、もともと地元の七尾で働きたいという意思と助けになりたい、何か力になれればという気持ちで、大学を卒業する時、「一緒に働きたい」と父に申し出た。七尾の魚はどこにも負けない鮮度がある。今は、それを市外の人に届けたい、知ってもらいたいという気持ちで、仕事をしている。子どもの頃から市場へ連れて行ってもらったり、そこで働く人たちと話したりしていたので、人付き合いがしやすかったのも父のおかげだ。起床は毎朝4時。慣れるまでがとても大変だった。最初は怒られてばかりだったが、今はだんだん自信も付いてきて、周りからも信頼されるようになってきたと思う。朝、取引先と連絡しながら、注文を受ける忙しい時、「仕事しとるなぁ」と感じる。それが、次の日のモチベーションにもつながっていると思う。父からは、「少しずつ積み上げてきた信頼も、崩れるのは一瞬」と、今でも言われている。父が培ってきた信頼を裏切らないよう、これからも努力していく。

 

創業:昭和33年

多村建具製作所

多村正則さん

小学生時代から父の背中を見ていた。作業場に行くと、木の切れはしがたくさんあったので、遊びながら物作りを学んだような気がする。

建築の専門学校を卒業。人の下に付いて働くより、自分で何かやりたかったので、父親がやっていた建具製作所に就職。今思えば、亡くなった父も、仕事を継いでほしいという気持ちがあったと思う。教わったのは、基本的な木の見方や道具の使い方など。カンナを使う時、「それじゃダメやぞ。引くときに力入れよ」と声を掛けられたことが思い出にある。田鶴浜建具のすごさは何と言っても組子。全国でも指折りの技術だと自負している。

新しいものを生み出せる、自分が思い描いた物を形に出来る喜びが、この仕事にはある。できるだけ注文は断らず、実現しようと努力している。商品を渡した時の「ありがとう」という言葉と笑顔が一番うれしい。注文があるのは、木のぬくもりを求めている人がいるということだが、田鶴浜建具も担い手不足。伝統を守っていきたい、次につなげていきたい気持ちはもちろんある。私は、守っていくのはその技術だと思う。これまでの技術をさらにアレンジして、新しいものを作るのが私の役目。それが、田鶴浜建具を守ることにつながると信じている。

外からみえる七尾のよさ

日本には、いろいろな田舎がある中で、七尾市を選んだ人たち。

そんな人たちから見た「七尾」を語ってもらいました。

 

癒し堂ほぐしランドを開業

(相生町・リボン通り)

宮城県仙台市出身

熊谷 隆広さん

高校時代を福井県敦賀市で過ごし、日本海側の自然の豊かさに惹かれ、移り住みたいと考えていた。そんな時、インターネットで知ったのが七尾市。コンパクトで住みやすく、大きな病院もあり、子育てに向いている。また、海の幸がとてもおいしい。子どもはぜんそく気味だったのですが、回復。海も山も近く、冬には雪も見られ、子育てには打って付けの場所です。最近、子どもが七尾弁を話すように。私も負けずに、周りと親しくなってまちづくりに貢献したい。

 

イラストレーター

(能登島曲町・能登デザイン室)

宮城県角田市出身

本田 有希子さん

東日本大震災が、生活を見直すきっかけになり、姉夫婦が移住していたこともあって七尾市に。能登島の人はとても親切。2回目に会ったときには、知り合いみたいに話し掛けてくれ、とても驚いたのと同時にうれしかったです。また、5月のある日、能登島全体の緑が一斉に映え、前の日と全然違ったイメージになった時は自然の豊かさを強く感じました。外から来た人にとっても、とても魅力的なところが、七尾市にはたくさんあると思います。

 

スギヨファーム

(西三階町)

神奈川県横浜市出身

野間 仁さん

仕事で金沢にいた頃から、能登の風土や食文化に魅かれていました。定年を迎えてから七尾市へ。立派な病院やスーパーもたくさんあって、日常の生活には困りません。休日は、七尾城や山の寺寺院群などを散策して歴史探訪するなど楽しみも増えました。なかでも夢中なのが、地元の野菜を使って、料理すること。何といっても、季節を感じさせてくれる食材が豊富なのが素晴らしい。私が思う七尾の一番の魅力です。

 

農業組合法人NOTO-SUN

(赤浦町)

石川県小松市出身

藤中 学さん

東京でぜんそくが悪化し、これ以上暮らせないと思いました。治すためには、新鮮な空気とおいしい食べ物が必要だと考え、田舎暮らしを決意。七尾は、食べ物がとてもおいしく、景色も最高。向田の火祭では、快く手松明を渡してくれたり、奉燈も担がせてもらったりと、人の心が温かく本当にうれしかった。都会にはないものばかり。ここは、食文化が豊かで、昔から地域に根付く文化もある。無意識でも、誇りを持てる暮らしをしている人々は素晴らしい。

プラス思考で発想転換!心躍る七尾市を目指して!

さらなる交流人口拡大へ

七尾市の人口減少は、今後ますます進むことが予想されます。将来にわたって、市民が元気で豊かさを感じられる地域づくりとは何かを考えなければなりません。この3月には、いよいよ北陸新幹線が金沢まで開業し、能越自動車道が七尾まで全線開通します。また、七尾港の整備も進み、のと里山空港を含めて、陸・海・空の交流や産業振興の基盤が整います。「近くなる七尾」を好機とし、これまで以上に積極的な施策に取り組みます。近年大きな成果を上げているのは、スポーツを中心とした合宿です。和倉温泉や能登島を中心とした施設をたくさんの人に利用していただき、「スポーツ合宿のメッカ」としての認知度が高まっています。1年間で10万2千人もの利用者が訪れるようになり、地域経済の活性化につながっています。

キーワードは「地方創生」

国は、人口減少対策と東京への一極集中を是正し、人の流れを変え、魅力ある地域づくりを進める「地方創生」を本格化させています。

七尾市としては、国の動向を注視しながら、引き続き「ふるさと七尾」の発展のために、地域の活性化と交流人口の拡大に努めます。

雇用を生み、定住を増やす地道な取り組み

昨年度、地域の強みや特色を生かした産業の活性化を図るために、「地域産業振興プラン」を策定しました。第1次、第2次、第3次産業全体にわたる波及効果を生み出し、新たな事業や雇用を創出します。

また、「シャッターオープン事業」による商店街の空き店舗対策や、七尾商工会議所・のと共栄信用金庫・日本政策金融公庫と七尾市の4者で連携している「ななお創業応援カルテット」により、官民一体となって起業・創業を応援します。

都市部から七尾への移住者を獲得するために、住宅支援や空き家バンクを運営し、ポータルサイトなどで七尾の魅力を発信し、地道ではありますが、定住人口のさらなる拡大を図ります。移住した人の中には、これまでに培った能力や経験を生かした暮らしをしている人もおり、地域の活力にもつながっています。

また、若い世代の人が安心して働き、出産・子育てできるよう、切れ目ない支援の充実に努めます。

地域での支え合いのネットワークづくり

近年、少子高齢化や核家族化の進展、地域の連帯意識の希薄化など社会環境が変化する中で、防犯、福祉など多くの分野で、地域を取り巻く課題は複雑・多様化しています。これらの課題を個人や行政だけで解決するには限界があります。住民同士が支え合い、課題解決に向けて取り組むことが重要です。

地域を支えるのは人です。「市民が主役のまちづくり」を実現し、安全・安心に暮らし続けることができるよう、自主防災組織や地域福祉ネットワークを構築するなど、「協働」による地域づくりを推進します。

一人一人が元気な七尾づくりの担い手に

七尾市には、豊かな自然や祭りなどに代表される伝統文化、それを支えてきた地域の絆など先人から受け継がれた素晴らしい財産があります。それらを大切に守り、後世に継承しなければなりません。

北陸新幹線金沢開業など、七尾が飛躍するための追い風が吹いています。「地方創生」に加え、地域資源を活用し、地域の絆をさらに強める取り組みにより、市民一人一人が夢や希望を持ち、「心豊かで幸せを実感できる元気な七尾」を創ります。

新年を迎え、気持ちを新たに、ともにがんばりましょう。

七尾市長

不嶋豊和

お問い合わせ

所属課室:企画振興部広報広聴課

〒926-8611石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8423

ファクス番号:0767-52-0374

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