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更新日:2013年12月5日

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市民と舞台と感動と。

みんなで創った「ロミオとジュリエット」

広報「七尾ごころ」では6月号から3カ月間、初の試みとして連載特集「七尾×無名塾」を掲載しました。

そして、今月号はその最終幕。「市民と舞台と感動と」。

25回の公演で、約1万4千人の観客を感動の渦に巻き込んだ、第5回能登演劇堂ロングラン公演無名塾「ロミオとジュリエット」。

この舞台はキャスト、スタッフ、そして、市民ボランティアがつくり上げたものです。

ロングラン公演に携わる人々を通して七尾と演劇の今の姿を伝えます。

 

第一幕 市民が盛り上げた舞台裏

ロングラン公演を成功させる上で、市民の協力は不可欠。陰の立役者たちを追った。

市民エキストラ

踊って走って舞台に花を添えた

ロングラン公演に欠かせないものの一つとして、市民が参加するエキストラがある。

今回の公演では、舞踏会シーンで踊る貴族役と最終シーンでホリゾント(後壁)が開くときに登場する夜警役。貴族役を、七尾東雲高校演劇科の生徒が熱演。さらに市民や市外からの参加者が夜警役で出演した。ロングラン公演開幕の約2週間前から能登演劇堂で稽古を行い、振付を覚えていた。

今回のエキストラは、25回の公演すべて参加することになっており、代役が立てられなかったため、ボランティアの範囲を超えた内容ではあったが、参加者は責任感を持って全うした。セリフはないものの、舞台での存在感は大きい市民エキストラ。今やロングラン公演の代名詞となっている。

舞台のペンキ塗りや仮面づくり

公演を支えた七尾東雲高校演劇科の生徒たち

ロングラン公演を行うたびに、さまざまなボランティア活動を行っている七尾東雲高校演劇科。今回は大道具のペンキ塗りや、舞踏会の場面で使用する仮面の制作を行った。

仮面制作では、ネコやコウモリなどをイメージして、思い思いに制作。小藤瑠香さん(3年)は「ロングラン公演に携わることができてうれしいです。これを付けて気持ち良く踊ってほしい」と期待を込めた。

七尾東雲高校演劇科の生徒たちの若い力が今回も、ロングラン公演を支えた。

中島中学校の「ぼらんちNAKAJIMA」

ロングラン公演を支え自ら成長する

中島中学校の「ぼらんちNAKAJIMA」は9月に結成したばかり。ボランティア活動を通して、達成感を感じ、道徳的価値を深める目的で活動している。

生徒たちは、会場や周辺の清掃活動を実施。公演中は観客の誘導やチケットのもぎりなどもした。

初めは恥ずかしそうに小さな声であいさつをしていたが、次第に爽やかな大きな声に。生徒会長も務める稲田真伍さん(3年)は「ありがとうと声をかけられた時、やってよかったと感じます。これからもボランティア活動を進んでやりたい」と爽やかな笑顔を見せた。

中学生の無垢な心がロングラン公演を支えていた。

テント市など

地元の味で歓迎に一役買う

特産品の能登かきや能登野菜の漬物、パンやかきもちなど自慢の味を販売しながら、満面の笑みで「ようこそ、おいでくださいました」と声をかける地域の人たち。観劇を終えた観客は「帰りも笑顔で見送ってくれてうれしいね。また、七尾に来るよ」と握手で応え、思い出の1ページを刻んでいた。

託児所「NPO法人ぽっかぽか」

子育て世代にも演劇鑑賞を!

親には心置きなく演劇を楽しんでもらいたいと、NPO法人ぽっかぽかは、公演中0歳児からの子どもを無料で預かった。鑑賞を終えた親は「おかげでリフレッシュできました」と感謝していた。このようなサービスが、演劇に触れる機会を増やし、ひいては子育て支援にもつながっている。

第二幕 第二のふるさと七尾を思う人たち

七尾には故郷を思わせる抱擁力がある。

シャンソン・シンガー

仲代 圭吾 氏

第1回のロングラン記念公演で初めて七尾を訪れ、早いもので16年が経ちましたね。兄貴と一緒に歌うようになったのもこのときからでした。昔から兄貴とは仲がいいので、一緒に舞台に立てるのはうれしい限りです。この機会を作ってくれた能登演劇堂や七尾市民の皆さんには本当に感謝しています。

そこからの縁で、何度か来ていますが、七尾はいいですよね。今でも鮮明に覚えているのは、7月に見た塩津かがり火恋祭り。こんな神秘的な祭りがあるのかと感動しました。それで「かがり火太鼓」という歌を作ったんですよ。皆さんは住んでいるからわからないかもしれませんが、祭りや食、自然など、すべてがそろった素晴らしい地域。ほかにそうはないですよ。人も温かいですよね。町を歩いていると、家から出てきて「コンサート見ましたよ」と握手を求められる。普通、私が求めるもんなんですけどね。うれしかったですよ。本当にいい人ばかりと会っていますね。「気の毒なぁ」という方言も覚えましたよ。この言葉は何とも言えないやさしい響きですよね。

七尾には故郷だと思いたくなるような抱擁力があるのかもしれません。これからもこの地を大事に思っていきたいですね。

能登演劇堂を根城にずっと演劇を続けたい。

無名塾

松崎 謙二 氏

初めて七尾に来たのは、入塾した昭和62年。中島町釶打地区の施設に宿泊して、武道館で稽古をするという生活でした。地域のイベントや祭りに参加させてもらったり、青年団の皆さんと座談会をしたりと、市民の皆さんと触れ合う機会が多くて本当に楽しく過ごさせてもらいました。

東京に生まれ育ったので、七尾での生活は何もかも新鮮で、夢を見ているようでした。そして素晴らしい自然、人、そんな恵まれた環境のおかげで芝居の稽古に集中できたことを思い出します。あれから26年。毎年来ているので、今では塾生の中で一番七尾歴が長くなりました。「おかえりなさい」「ただいま」という感じで、皆さんが迎えてくれるので、私にとってはもはや第二の故郷。知り合いや友達もいっぱいできました。町を歩いていたら、知らない人に会うよりも、知っている人に会うことが多いような気さえします。うれしい限りです。

少し残念なのは昔とは違い、皆さんとの交流が少なくなったような気がすること。今回の公演で仲代さんは、前線から一歩引いて主導権を僕らに渡そうとしています。僕らもどう受け取り、芝居を通して皆さんとどう関わっていくのかを考えなければならない時期がきていると思います。しかし変わらないのはこれからもずっと、能登演劇堂を根城とすること。そして七尾の皆さんといっしょに演劇を楽しみたいと思っています。

写真キャプション

(左)ベンヴォーリオ役

鎌倉太郎

(中央)マーキューシオ役

松崎謙二

(右)ジュリエットの乳母役

西山知佐

第三幕 人と町とのふれあい

仲代氏との出会いから30年。その月日から生まれたなじみの関係。

ロングラン公演の最中、仲代氏は若い塾生たちを連れて、能登演劇堂近くの中島商店街へ足を運んだ。道中、仲代氏は「無名塾と七尾の歴史はもう30年にもなる。これまでこの地域でたくさんの人たちに支えられた。七尾に住む皆さんからいただいた温かい心を、私たちは芝居で恩返ししなければならない。だから、無名塾の公演はここからスタートして全国へと行く。ここはわが城なんだよ」と塾生に言い聞かせた。

商店街に到着し顔なじみの人を見つけると仲代氏から名前を呼び、あいさつをして、世間話を始めた。「東京に住んでいる仲代さんから住民に声をかけて会話が始まるなんて。ここまで来る間に仲代さんが話していたことが納得できました。地域の皆さんとの親密な関係が伝わります」と塾生は驚いていた。

住民から「もう、30年になるけ。私たちは老けていくだけやけど、仲代さんはまだまだ若いわ。これまで同様来てくださいよ」と声をかけられると、仲代氏は「当然やわいね」と七尾弁で切り返し、笑いを誘った。

次のあてがあるかのように仲代氏は通りを進んでいった。立ち止まったところは、ある酒屋。「こんにちは」と言いながら、奥へと進むと、その店の奥さんが出てきた。「あら、仲代さん。来れんたら来ると言ってくれなぁ、普段の格好やから困るがいねぇ」と恥ずかしがりながらも柔和な笑みを浮かべた。昔、仲代さんや無名塾の皆さんと撮った写真やパネルを取りに戻り、若い塾生に当時の様子を楽しげに話した。塾生は「先ほどの住民との雰囲気、次に歴史あるパネルや写真。ここは無名塾の原点なんだと感じました」。

仲代氏と私たちが出会ったきっかけ。それは、30年前に仲代氏が能登旅行に来て、こうつぶやいたことからだった。「小さな湾を挟んで向かい合うひなびた町。静かな内海に映える緑の山並み。静寂の中を、能登島に渡るポンポン船のエンジン音がこだまする。そこだけ別の時間が流れているような情景。この恵まれた自然の中で無名塾の芝居の稽古ができたらな」。この言葉から私たちとの関係が始まり、これまでの無名塾と住民とのふれあいが続いている。

市民と劇団員の交流会

ロングラン公演のたびに開催されている市民と劇団員の交流会。食事やお酒などを飲みながら、親睦を図る目的で行われている。

今回は、中日の公演を終え、能登演劇堂の横にある「なかじま亭」に集まった。仲代達矢さんをはじめ、塾生やスタッフ、そしてボランティアなどで公演に関わる市民が参加。乾杯の発声が終わると、参加者たちは立場を気にせず、楽しく語り合った。

塾生からは「交流会と称した形式的な行事がよくあります。しかし、ここは違います。友人たちが集まる飲み会のように、気軽に楽しい時間が過ごせます。機会を作ってもらい、そして、こんな雰囲気で、市民の皆さんと交流できることは私たちにとって、ありがたいです」と、満面の笑みをみせた。

この交流会のスタイルは、ロングラン公演に関わる者同士が交流してきた歴史から生まれたものである。

公演中は「R&Jロミオとジュリエット」グッズをはじめ、七尾の特産品も販売していました。

能登演劇堂ロングラン公演では必ず製作され、好評を得ているオリジナルジャンパー。

能登産ブドウ使用のオリジナル赤ワイン。

ブルーに銀箔を押した上品な表紙が目を引くオリジナルパンフレット。

パティシエ辻口博啓さんの洋菓子店「ルミュゼドゥアッシュ」が公演にあわせて記念ドーナツを発売。

第四幕 波及する感動。

全国各地から能登半島「七尾」へ足を運んだ人たち。

25回公演で約1万4千人もの人が来場。「ロミオとジュリエット」の舞台や七尾の演劇文化をどう感じたのかを聞いた。

「ロミオとジュリエット」も無名塾の舞台も初めて見ました。憎しみの中の悲劇や、それとは反対の愛し合う心などが丁寧に描かれていて素晴らしかったです。(岐阜県20代女性)

「ロミオとジュリエット」という古典の哲学的な言葉を分かりやすく絵画のように描いてあり、現代に通じる出来事として感動しました。初めての経験です。(岐阜県60代女性)

大阪でも見られたがこちらへ来てよかった。来たかいがあった。無駄がなく素晴らしく感激。6本の柱が何ともいえない。奥の借景が自然と目に入った。(大阪府70代男性)

簡潔な演出と筋運びについつい引き込まれました。素晴らしかったです。今日の満席状態にこれまでのご努力の効を知りました。今後、ますますのご発展を。(東京都60代女性)

一つのセリフも聞き逃すまいと真剣に耳を傾けました。演者の精進をたたえ、この場から日本の演劇人が育つことを切に願います。今後は演劇をもっと見たいです。(東京都70代男性)

劇場が素晴らしかったです。コンサートなどでいろいろなホールに行きましたがまったく違っていて、失礼ながら能登の田舎にこんな施設があるなんて驚きました。(富山県40代女性)

無名塾の公演は初めてでしたが、まったく飽きずに見ることができました。またぜひ能登演劇堂で見たいです。古典中の古典ですが楽しく観劇できました。(金沢市20代女性)

出演者の芝居にかけるエネルギーを受け取ることができ、高齢の私の内側にも力がみなぎりました。再び無名塾の皆さんに会えるよう健康に努めます。(福井県60代女性)

観光を兼ねて来ましたが素晴らしい劇場でびっくり。若い俳優ふたりの熱気ある演技にただただ見とれていました。仲代さんのスローテンポな神父もよかったです。(静岡県60代女性)

羽田から1時間の飛行機の旅です。能登演劇堂の素晴らしい雰囲気を初めて経験し、満喫しました。また、ぜひ見たいと思います。東京公演とは別です。(埼玉県70代女性)

念願の能登演劇堂を観劇。東京とは異なる感じがよかったです。なぜでしょう。風かな。仲代さんの大きな目がやはりステキ。役者が育っていて素晴らしいと思いました。(千葉県60代女性)

初めて能登に来てこの舞台を見ました。素晴らしい演技に心が洗われる思いと、言い知れぬ力を与えられました。この思い出を一生大切にして生きていきます。(兵庫県80代女性)

さすがシェイクスピア劇。言葉遊びの妙、セリフの多さに感激。舞台の後ろが開くと聞いて楽しみにしていました。想像以上の迫力。ステキなホールです。(長野県40代女性)

写真と感想コメントはそれぞれ別の人のものです。

第五幕 七尾でしか学べないことがある 心をはぐくむ演劇教育

表現方法や制作活動といった演劇の要素を用いて、健やかな心と体を育てる「演劇教育」。

旧中島町から七尾市へと受け継がれているその取り組みによって、たくさんの若者が生きる力と目標を見つけている。

今も現場で指揮を執る担当教諭の目からその軌跡を振り返ってみたい。

俳優、仲代達矢氏と旧中島町の奇跡ともいえる出会いから始まった、演劇による町づくり。その構想の中には、能登演劇堂を活動拠点とした、新しい町民文化活動の創出も盛り込まれており、「地元の学校で生徒に演劇を」という機運が高まったのも、今となれば自然な流れだったのかもしれない。旧中島高校の卒業生で、能登各地で国語教諭をしていた酒井が母校に赴任したのは、能登演劇堂が完成した平成7年。「授業で演劇を教えてほしい。条件は生徒を縛らないこと」。恩師でもある校長が酒井に伝えたのはこれだけだった。

確かに、高校・大学時代に演劇部員として活動した。教師としてのキャリアもある。しかし、”授業として演劇を教える〞となると話は別だ。暗中模索を続ける日々―当時、全国の公立高校で唯一演劇科があった兵庫県立宝塚北高校へ視察に出かけたのは、まさにそんな時だった。

役になりきってセリフを言い合ったり、体を動かしてゲームをしたり。心の底から楽しそうに”遊ぶ〞生徒の姿に、目からウロコがポロポロと剥がれ落ちた。さらに、能登演劇堂公演に出演していた俳優たちを訪ね、演劇についての教えを乞ううちに、酒井はある一つの答えに辿り着く。「演劇と演劇教育は似て非なるもの。俳優養成はできないが、生徒の閉じた心の殻を打ち破る授業ならできるかもしれない」。

平成12年4月、旧中島高校に普通科演劇コースが開設された。入学式には能登演劇堂の名誉館長でもある仲代達矢氏が駆け付け、共に一期生と演劇コースの門出を祝った。そして平成16年、七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町の合併により、演劇教育は七尾市に継承される。酒井は中島高校演劇コースの最後の生徒たちを送り出し、平成21年、新たな演劇教育の場としてひと足早く動き出していた七尾東雲高校演劇科に赴任した。

演劇コースは1クラス。毎年約30名の生徒が集まってくる。専門学科とはいってもすべての生徒が演劇への意欲が高いとは言い切れない。なかにはさまざまな悩みを抱えたまま高校生になった者もいる。そんな生徒が机を並べるのだ。協調などあったものではない。しかし酒井は、どれだけ生徒が反目し合っても、できるだけクラス単位で行動させた。

「苦手な人や嫌いな人から逃避するのでは、社会に出た時また自分の殻に閉じこもってしまう。一緒に過ごすことで互いに理解する方法を見つけさせたい」。そんな思いを持っていた。さらに演劇の授業では全員に役を与え、自分がいないと舞台が成立しないこと、必要とされていることを実感させた。居場所を見つけた生徒たちには笑顔が増え、欠席数は激減。友人や教師との交流が増えるごとに、”人と自分は同じではない。違っていいのだ〞ということに気付き、自分らしさを取り戻していった。

ある理由から学校を、教師を、親を憎んだまま入学してきた女子生徒は、卒業時のパーティーで「学校が大好きになった」と大粒の涙をこぼし、もっと勉強したいと4年制大学に進学した。また、いつも教室の隅で一人ポツンと過ごすことが多かった男子生徒は、演劇を通してやればできるという自信をつけ販売員として就職。北陸で一番の売り上げを収めた。人が嫌いだと心の扉を閉ざした多くの生徒が、人と接することの大切さを知り、看護師や保育士といった人と正面から向き合う仕事を選ぶ。どんどん変わっていく生徒の様子を間近で見るのが、酒井の何よりの喜びだ。

地域に能登演劇堂があることにも大きな意味がある。仲代達矢氏が率いる無名塾のホームグランドになっている舞台を実習の場にできることだ。通常、予算やスケジュール上、公立高校がホールを借用できるのはリハーサルを含め約3日。正直、こんな短期間では、会場の雰囲気や広さをつかむだけで初日を迎えてしまう。しかし、能登演劇堂は1週間から10日ほど、学生が存分に稽古できるよう予定を空けてくれる。どんな動きをすれば、どれだけの声を出せば観客に届くのかを考えながら、「やれるだけのことはやった」と思えるほど練習ができるから、生徒たちは幕引きと同時に大きな達成感を手にする。一方で演技に自信を持つ生徒も、無名塾に所属する俳優たちとの交流から、努力と勉強を続けても第一線で活躍できるのはほんの一部だけという厳しい現実を感じ取る。生徒たちは演劇を通してさまざまな体験を重ねながら人間的に成長し、やがて誰に指示されることもなく、これから自分が進むべき道を探し始める。

地域のイベントに数名の生徒と参加した時のことだった。海岸沿いを車で走っていると、「先生、海だ!海!初めて見た!」。県外出身の生徒が目を輝かせた。また、日暮れの帰り道で不意に空を見上げ、「こんなきれいな月、見たことない」とつぶやいた生徒もいた。手つかずの自然、澄んだ空気、のどかな景色、心温かな人々。七尾のすべてがここでしかできない演劇教育につながっている。例え卒業して七尾を離れることになっても、生徒たちは社会で生きていくための心と体を育ててくれた”第二の故郷〞を決して忘れないだろう。事実、能登演劇堂には公演ごとに伴侶や家族と共に卒業生が訪れる。特別な言葉はなくとも、酒井にはその晴れやかな顔を見れば分かる。「自分の力で人生を切り拓いたんだな。頑張っているんだな」。そして思う。10年、20年先も、彼らがいつでも帰って来られる能登演劇堂でありますように。七尾が大切な人に見せたいと思う町でありますように。

七尾の演劇教育の素晴らしさは、能登演劇堂や下宿生を受け入れてくれる市民、地域住民、行政など周囲の理解とバックアップにある。逆の見方をすれば、演劇文化が根付く七尾という町が一体となって、生徒たちの成長を支えてきたのだ。運命の出会いからもたらされた演劇が、町の文化となり、やがて次世代を担う若者に生きる力と勇気を授ける場所をつくった。演劇教育が続く限り、七尾を心のよりどころとする生徒は増え続けるだろう。町が人を育てる。こんなに誇らしいことがあるだろうか。

制作協力

酒井藤雄さん

石川県立七尾東雲高等学校

演劇教育・国語担当教諭

旧中島高等学校OB

第六幕 ロミオとジュリエットメモリーズ

Romeo

And

Juliet

Memories

演劇は七尾の宝です。

演劇は私たちの文化です。

無名塾主宰仲代達矢氏との奇跡の出会いから始まった能登演劇堂の歩み。この物語に第5回能登演劇堂ロングラン公演無名塾「ロミオとジュリエット」という、新たなページが刻まれた。

今や世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」に仲代氏が心を奪われ「ここで芝居の稽古ができたら」とつぶやいた一言。そこから、旧中島町の「演劇の町」構想が誕生。仲代氏と無名塾、そして私たちの軌跡。演劇がもたらした今の七尾の姿を30年前、誰が想像できただろうか。

仲代氏はこう語る。「劇団と地域の人たちとの交流が、30年間も続くのは全国どこを探してもありません。この歴史ができたということは、七尾と無名塾の出会いは必然だったのです。そして今があるんです」と。

私たちはこの言葉の重みと意味を改めて考えるべきではないだろうか。日本に誇れるオンリーワンの演劇文化があることを。それは私たちが次世代に残せる宝であることを。一度手離したら元には戻せないのだから。

市民と共に取り組むロングラン公演も今年の「ロミオとジュリエット」で第五回目となりました。

無事に楽日迎えることが出来たのもエキストラの方をはじめ市民の皆様の熱い思いに支えられてのものです。

この七尾の地に演劇が本当に根付くにはまだまだ時間がかかるかもしれません。

日本各地、どの地にも昔話が残っています。そうした昔話。かつての祭りの日の村芝居の様に皆さんの暮らしの中に根付いてくれたら・・・・・・そう願わずには居られません。

無名塾

仲代達矢

お問い合わせ

所属課室:企画振興部広報広聴課

〒926-8611石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8423

ファクス番号:0767-52-0374

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