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更新日:2017年6月5日

2~7ページ

ユネスコ無形文化遺産 国指定重要無形民俗文化財
青柏祭の曳山行事

時代を越えて受け継がれてきた先人の知恵と町民の熱き血潮が
日本一大きなでか山を500年以上支えてきた

春に新芽が育つまで古い葉は枯れ落ちない「柏の葉」。次の世代へと命をつなぐこの葉のように、山車を持つ山町の人たちは不断の思いで青柏祭の曳山行事(以下でか山)を守ってきた。500年以上続いてきた伝統を絶やさぬよう、誇りと責任感を胸にでか山に向かう町民は、準備や運行に一切の労力を惜しむことはない。「エンヤ―」の掛け声で「ミシッミシッ」と軋みながら、でか山がゆっくりと動き出す瞬間こそ町民の真骨頂。
彼らの祭り魂が最高潮に達する3日間と、世界に認められた伝統を次代へつなごうとする姿を追う。

街角インタビュー1
でか山を見た感想
長岡憲弘さん、寛子さん(東京都)
初めて参加しましたが、想像以上の大きさにびっくりしました。こんなに大きな山車が人の手で動いているのが信じられません。

街角インタビュー2
でか山を見た感想
イタリア食科学大学の大学院生の皆さん
とても美しく、色彩が豊かで素晴らしい。故郷のカーニバルとは違った、日本らしい厳かさもあり感動的です。

STAGE01
「でか山」の組み立て

1.藤づる編み
2~3人で1組になり、藤づるを束にして、17~18メートルの綱状にする。これを多い町で700キログラム用意する。

2.むしろ編み
むしろは、わらで編んだ畳一畳分の敷物。でか山の骨組みを覆うため、約200枚を手作業でつなぎ合わせる。

3.車出し
直径約2メートル、重さ約2トンの車輪を山蔵から運び出し、水平になるように作業場所の定位置に据え付ける。

4.地山組み
車輪に心棒を通し、台木を乗せ、柱を立てていく。土台が出来上がると、長丸太を両脇にはめ込み、わら縄を使って固く縛って仕上げる。

5.むしろ張り
つなぎ合わせたむしろを丸太に掛けてクレーンで持ち上げ、竹を張った地山を覆っていく。

6.試し曳き・飾り付け
むしろ山を試運行し、傾きやねじれを確認。歌舞伎舞台や人形の設置、幕などを飾って仕上げる。

魚町では22年ぶりに下段前幕を新調。

木遣り衆が手にする祭道具「彩祓(ざい)」は若衆と女性たちが作り上げる。

春の息吹を感じる4月初旬になると、幼い頃から木遣りや七尾まだらを練習してきた町民たちの耳には、自然と太鼓やかねの音が響いてくるという。1年を通じて準備に掛かってきた町民らの祭り魂は、徐々に騒ぎ始め、でか山づくりは始動する。
初めに取り掛かるのは藤づる編みとむしろ編み。新入りの若衆は、ここからでか山づくりを覚えていく。200近くある部材をつなぐ藤づるは、毎年3月上旬に採れる「地渡り藤」を使用。運行中の揺れに強い山を作るためには新鮮な藤づるを使わなければならない。毎年山から刈り出し、手作業で編み上げるのは大変な労力が必要とされる。
車出しを終えると、クレーンを使って上へ上へと地山組みを進めていく。男たちは精一杯の力を込めて部材を藤づるで締め上げていく。4階建てのビル相当の高さで行われる逆ハの字型の「開き」部分を作る作業は、並々ならぬ経験と度胸が必要。地上からは年長者が指示を出し、若衆は高所で声を掛け合いながら汗を流す。
町民らは言う。「でか山を中心に町がまとまる。その団結力ででか山が動くんや」。むしろ山を完成させ、意気揚々と試し曳きに向かう男たち。でか山づくりを通して培ったチームワークを原動力に、日本一大きな山車を曳き廻す。

STAGE02
「木遣りの稽古」

曳き手の心を一つにし、でか山の動きに弾みをつける木遣り。唄には楽譜はなく、各山町で先代から後代へと口伝えで唄い継がれてきた。印鑰神社社務所では4月上旬から府中町の子ども木遣りの稽古が始まる。独特の唄い回しや一つ一つの動作を大人から手取り足取り習う子どもたち。稽古は姿勢や目上の人への礼儀などを学ぶ貴重な社会勉強の場でもある。境内で遊んでいた地域の子どもたちも上級生の姿を憧れのまなざしで追い、伝統は日々の暮らしの中で脈々と受け継がれていく。

鍛冶町、魚町の稽古場でも本番さながらの緊張感の中、毎夜のように稽古は続く。

STAGE03
「人形宿の準備」

5月2日、各山町の民家や集会所で、でか山の舞台に飾る人形が盆栽や生け花、供え物などで艶やかに彩られ、披露される。見物客が日頃の罪けがれを人形に託し、それをでか山に飾ることではらい清められるという由来がある人形見。人形宿を任されるということは名誉なことであると同時に重責が大きいことから、近年は公民館や集会所などで行なわれることが多くなった。
今年の8つの人形宿の中で、数少ない民家での開催となった関屋悟さん(湊町一丁目)。昨年12月に自宅を新築し、和室は92歳の母親が家の中からでも近所の人と関わりを持てるよう、大きな窓を通りに向けて配置した。人形宿の大役を受け、町内会のメンバーはその造りを活用したアイデアを持ち寄り、窓を囲むように竹の門や庭を作り込んだ。
また、今回花を生けたのは同町出身で東京都在住の伊藤佑飛さん。昨年1月に98歳で亡くなったいけばな草月流の師範の伊藤宵波さんの孫で、人形宿の花を生けてきた宵波さんの姿を幼い頃は憧れのまなざしで追っていたという。「皆さんに恩返しができれば」と気心の知れた近隣住民たっての依頼を受けた佑飛さん。弁慶の人形宿は、義経に向けた真っすぐな思いを躍動感いっぱいに表した花々で彩られた。

「町会の人が一丸となって取り組んでくれて、地域の絆を改めて感じる」と目を細める関屋さん。

未来のでか山を思い描く

地山組み 通 則雄さん(馬出町)

魚町は公民館の敷地を使用するので、約70人が集まって2週間ぐらいで一気に作り上げます。みんなで動かすでか山をみんなで作って、私たちの代が参加できなくなっても誰でも作れるようになってほしいと思いながら、組み立ての指示を出しています。
7年前から小丸山小学校の児童にでか山教室を始めました。当初は質問や見学だけでしたが、最近は実際にでか山を動かしてみたり、止梃子を使ってみたりと、児童に楽しいと思ってもらえるよう工夫しています。児童からの質問も増えてきて、幼い時の私のように、でか山好きの子どもが増えてほしい、そして大人になったら一緒にでか山を作れたらいいなと思っています。

人形宿 桶成 隆久さん(湊町一丁目)

鍛冶町の人形宿は、昔は山町だけで担当していましたが、現在は近隣の連町にお願いし、担当していただいております。
昔は人形師も山町ごとに1人置かれ、他の山町よりも良いものにしようと張り合っていました。人形宿に選ばれるということはとても名誉なことである一方、準備から見物客への振る舞いなど家人の負担も少なくありません。今では町会が意見を出し合って見せ方を考えたり、資材を集めたりして「この宿が一番良かった」と言われるよう一丸となって取り組んでいます。
当家でも明治14年、平成10年の2度経験させていただきました。次は息子の代で人形宿を受けさせていただくことが夢ですね。

木遣り 藤岡 孝幸さん(府中町)

父の木遣り姿への憧れと周りの大人の勧めもあり、小学校4年生から始めた木遣り。府中町の木遣りは先輩方から引き継いだ唄い方をほぼ忠実に守っていますが、最近は他の町の木遣り衆とも情報交換会を行い、良いところを共有し合っています。今年は初めて高段として木遣り衆を引っ張る立場となり、例年になく緊張して朝山を迎えました。はしごを登る時に、他の町の木遣り衆から「頑張って」とエールをもらった時はとても心強く嬉しかったです。伝統を守り続けることはもちろん大事ですが、若い世代にでか山の魅力を伝え続けられるよう、これから他の町とも協力しながら互いに高め合っていきたいです。

お問い合わせ

所属課室:企画振興部広報広聴課

〒926-8611石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8423

ファクス番号:0767-52-0374

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