タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

山の上には、町台となった。曳され、現在の6野ヶ丘町が新調のちに殿町・上4台であったが、・西町・登町のは、東町・中町たという。当初現在の形になっ87)頃には、明治20年(18の形であったが、同じく逆三角形の「でか山」と七尾市の青柏祭祭りの曳山は、もともとこの6台の曳山が町内を曳き歩くれている。年以上受け継が現在まで400始まりと伝わり、ったのが祭りの曳山を造って祝住吉神社の春祭りのこと。織田信長よ鶴浜に本拠を構えた際、村の人たちが住吉大祭は、七尾市田鶴浜町にあるり鹿島半郡の領主として、長連龍が田つらたつ迎えた祝い動画へ400年以上続く田鶴浜町の春祭り。起源は、鹿島はんごおり半郡領主・長家を住吉大祭すみよしたいさい祭礼七尾里山里海百景005月の第4土曜日に行われ年(1992)から、4行われてきたが、平成4従来は毎年4月24日にれになっている。神社に奉幣を返納する流山が町内を曳き回した後、われ、その後、6台の曳神社では、神輿渡御が行みこしとぎょ住吉神社に集まってくる。た御幣を取りつけた曳山が引き出され、ごへい当日の午前中には、前夜に受け取っにぎやかに町内を曳き歩く。の音、角を曲がるときの木遺り音頭で、たちが、勇壮ないでたちで、太鼓、迎えから始まる。各町会の壮年会の祭礼は、前日の夕刻に行われるし奉ょ鉦う人幣ほうへい菅原道真の人形があったそうだ。会ごとに管理されている人形が飾られ、壮年会の人たちが先頭する神輿渡御会の人たちをもてなしている。った料理やお酒などを振る舞い、壮年憩時や祭り当日の夜に、春の食材を使会では毎年当番の家庭が決められ、休祭りの訪れを告げている。また、各町の玄関には行燈がつるされ、町全体であんどん祭りの前夜から日曜日まで、各家庭るようになった。曳山には人形が飾られ、子どもたちも飛び入り参考文献―書籍『田鶴浜町の歴史下』(田鶴浜町)「年中行事とお祭り」P 247―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)「田鶴浜住吉大祭」場所住吉神社/七尾市田鶴浜町ニ252地図へ10