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市内で行われた活動やイベントを紹介します
認知症サポーター養成講座
困っている人に優しく声掛けを
田鶴浜高等学校
認知症を正しく理解し、本人や家族を温かく見守る認知症サポーター。
衛生看護科の2、3年生76人が、在宅支援サービスステーションさはら(七尾市認知症キャラバンメイト)のケアマネージャーによる講義や寸劇を通して認知症への理解を深めた。
山岸七海さんは「教科書だけでは勉強できないことを学ぶことができた。
看護師になったときに生かしたい」と話した。
新しく誕生した76人の認知症サポーターの手首には、その証であるオレンジリングが輝いていた。
ともに歩もう市民のつどい
つなげよう市民の輪広げようしあわせの和
フォーラム七尾
人権尊重思想の普及と男女共同参画社会への関心を深めることを目的に開催された市民のつどい。
七尾市人権擁護委員による歌あり、笑いありのミニ人権教室がオープニングを飾った。
男女共同参画をテーマにした4コマまんがと川柳、人権擁護に関する標語・作文の表彰式や、落語家の露の団姫さんによる「女らしくなく男らしくなく自分らしく」を演目にした講演と落語も行われ、参加者は、人権や男女共同参画社会への理解を深めていた。
まちなか里山公園に落葉広葉樹を植林
木の成長を願って
田鶴浜町
まちなか里山公園づくりの会が田鶴浜小学校6年生43人と植林を行った。
田鶴浜町の中心に「まちなか里山公園」を造成し、住民の憩いの場となるよう整備を進めている。
この日植えた苗木はけやき、山桜、ギンナンの3種類12本。
スコップやくわで木の根っこや小石などを取り除きながら、大きく育ってほしいという願いを込めて苗木を植えた児童たち。
三野遥愛さんは「木が成長していくのが楽しみ。大人になってもう一度植えたい」と胸を高鳴らせた。
厚生労働大臣表彰受賞報告
七尾市遺族連合会守山征二さん
七尾市役所
長年に渡り、戦傷病者や戦没者遺族らへの援護事業に尽力した人へ贈られる援護事業功労者の厚生労働大臣表彰。
守山征二さんは22歳の頃から50年以上、七尾市や石川県の遺族会の活動に携わり、その功績が認められ表彰を受けた。
昭和20年にレイテ島で父を亡くした守山さん。
戦没者の遺骨を拾いに現地まで足を運んだこともあったという。
守山さんは「皆さんのおかげで受賞できた。ありがとうございます」と感謝を述べた。
受賞おめでとうございます。
100歳誕生日おめでとうございます
岩城典子さん
たかしなの里
高田町に嫁ぎ4人の子どもに恵まれた典子さん。
学校教諭を辞めてからは、子育てをしながら農業に精を出し、92歳まで毎日のように畑仕事を続けていた。
誕生日会では、地元の高階くれない太鼓がお祝いに駆けつけ、メンバーから握手を求められると笑顔で応えた。
次男の岩城敏明さんが「たかしなの里の職員をはじめ、利用者の皆さんが仲良くしてくれたおかげ。今後ともよろしくお願いします」と感謝を述べた。
これからも元気にお過ごしください。
石川県石油販売協同組合と協定書調印式
災害時における石油類燃料の供給に関する協定
七尾市役所
松本精一市議会副議長立会いの下、石川県石油販売協同組合七尾鹿島支部荒川直司支部長と不嶋市長が協定書に調印し、固く握手を交わした。
不嶋市長は「生活するには油が必須。有事の際には頼りにしたい」とあいさつ。
危険物であり大量に保管することは難しい燃料だが、災害時には避難所や緊急車両などへ提供される。
この協定によって、市民の安全で安心なまちづくりがまた一歩前進した。
地域見守り活動に関する協定書調印式
住み慣れた場所で暮らすために
七尾市役所
七尾市と一般社団法人石川県エルピーガス協会七鹿支部が県内の市町では初となる協定を結んだ。
不嶋市長は「市民が住み慣れた場所で安心して暮らせるよう、協会のネットワークを生かしてほしい」とあいさつ。
市内全世帯の75パーセントにLPガスを供給する同協会。
事業者がガスの点検などで訪問した際に、様子がおかしいと感じれば福祉課に、緊急の場合は消防署や警察署へ連絡する。
特に、お年寄りの一人暮らしや老夫婦だけの家庭にとって、力強い体制が出来上がった。
七尾市公設地方卸売市場初市
鮮魚と採れたて野菜に活気
七尾市公設地方卸売市場
水産物部、青果部ともに平成28年の初市が開かれ、鮮魚と採れたての野菜が並んだ。
水産物部では、七尾魚市場株式会社取締役社長の田尻豊治さんが「昨年、ブリは不作だったが、全体の漁獲量は増えている。これからも頑張ってほしい」とあいさつし、三本締めで一年の豊漁を祈願した。
水産物部ではイワシやサバ、スルメイカなどその日一日で約100トンが水揚げされた。
青果部でも地元産に加え市外からの野菜や果物が並び、両部とも競り声が飛び交い、活気に満ちていた。