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更新日:2013年9月5日

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「敬老の日」特集 七尾で長生き人生行路

百歳万歳

9月16日は「敬老の日」。「敬老の日」を迎えるにあたり、七尾市にいる100歳以上の元気な高齢者の皆さんを取材しました。広報をご覧いただいた市民の皆さんに「まだまだ私たちもがんばらねば!」と思ってもらえれば幸いです。また、取材した高齢者の皆さんが歩んできた七尾市の移り変わりがわかる「七尾時間旅行」をご覧いただき、懐かしい七尾も感じていただければと思います。

百五歳

105歳

荒木又吉さん

明治40年9月21日生(西暦1907年)

住所:深見町

来月、106歳?まだまだ元気やわいね!

「あまり歳をとり過ぎても自慢にならん」と話を切り出す荒木さん。

荒木さんと私(広報担当者・高木)との出会いは2年前にさかのぼる。「田鶴浜の深見町にすごいおじいちゃんがいるよ。取材してみては」という市民からの情報からだった。

当時、104歳だった荒木さん。自らエンジンをかけ、エンジン式草刈機で庭の草刈りをする姿を見て、私はびっくり仰天。聞いた年齢を疑った。

今回、取材したのは記録的猛烈な暑さだった8月中旬。「日中の外出は控えている。けど、朝夕の涼しいときには、片道1キロメートルくらいある向かいの山まで散歩に出かけるよ」と、来月106歳の誕生日を迎える今でも、2年前と変わらない生活をしている。

体のバロメーターは、毎日欠かさないお経を唱えること。家族は「毎日、お経の声の大きさで、その日の調子がわかるんです。調子がいい日は、隣の部屋にいても聞こえてくるくらいなんですよ」と話す。荒木さんも「毎日お経を唱えないと駄目なんや。調子が悪いときに声が出なくても、続けるようにしてる」と毎日の心掛けが大事であることを話す。

そして、生まれ育った田鶴浜金ヶ崎地区の移り変わりなども話してくれた。

「戦争が終わりかけていたころやったかな。当時、金ヶ崎は村やったんや。その金ヶ崎村役場に就職して、村のためにいろいろしてきた。戦争中は、みかんが配給されたことがあった。世帯当たり3つしか当たらなく、配るのが大変だった。あと、昔の金ヶ崎に流れる川はきれいやった。川から水を汲んできて、お風呂や洗濯などに使っていた。食事関係だけ井戸水を使っていたけど、川の水は飲めるくらいきれいな川やった」

荒木さんは耳が遠くなったものの、目や言葉はしっかりしている。また、一番しっかりしているのは記憶力。昔話になると話が止まらないくらい、たくさんのことを話してくれる。

9月に106歳を迎える感想を聞くと、「病院には何十年も行ったことがないし、痛いところや不自由なところもない。まだまだ元気やわいね」と力強い言葉が返ってきた。家族からも「おじいちゃんは、食欲旺盛。夜、お腹がすくと、冷蔵庫からスイカを出してきて、一人で食べてるんやよ。家族もびっくりしたわ」と裏話を話してくれ、荒木さんは苦笑い。御茶目な一面ものぞかせた。

最後に「不便なところであっても、生まれ育ったところが一番や。皆さん、故郷七尾が一番やよ」と市民の皆さんへのメッセージもいただいた。

市民の皆さん、荒木さんをはじめ、この特集で掲載した大先輩の皆さんを見て、私たちもがんばらないといけませんね。

写真キャプション

自らエンジンをかけ草刈りをする荒木さん(2年前)

金ヶ崎小学校・大正9年3月卒業当時

故郷七尾100年を振り返る

七尾時間旅行

取材した高齢者の皆さんが歩んできた100年。

この間、七尾市はどのように移り変わって来たのでしょうか。

私たちが住む故郷七尾の100年を振り返ってみましょう。

明治末ごろ

一本杉通り

一本杉通りから生駒町方面に向かって撮影されている。右側の電柱が印象的である。

明治~大正

戦前の能登海岸風景

漁業が盛んな能登島。海岸付近には多くの船小屋と漁舟が並んでいた。

明治~大正

鰀目竹生島での放牧風景

農作業や運搬などには欠かせない労力として牛馬が飼育された。能登島は、名馬池月を産んだ土地柄の伝承がある。

大正期

愛宕山に建つ鹿島郡公会堂

東宮殿下(後の大正天皇)行啓記念として建てられた。後に少年科学館となった。

大正2年

県下トップの上水道

中島水道は明治44年に設計図が完成し、大正元年に内務大臣の敷設認可を得た。写真は当時の米谷義松村長。

大正期

大正期のデカ山

街中に電柱が立ち並び、デカ山の運行に支障が出るようになった。

昭和初期

新七尾駅

大正14年に本府中から現在地に移転して建てられた。旧駅舎は現在越中八尾駅となっている。

昭和9年

旧七尾警察署

相生町(現たちばな公園)から、三島町に移転新築された七尾警察署。川渕通りのランドマークとして親しまれた。

昭和10年代

戦前の七尾市街地

小丸山公園からの眺め。手前の建物は鹿島郡役所で、旧七尾市立図書館が建つ場所。

昭和28年11月

田鶴浜小学校80周年記念旗行列

明治6年6月に区学校を石川県第24中学区田鶴浜小学校と改称。80周年を記念して校歌も制定された。

昭和28年11月

西湊小学校でのバザーの様子

現在のバザーと違って、野菜や履物など、実生活に直結したものが売られていた。

昭和30年代

愛宕山相撲

愛宕山の相撲大会は光徳寺の報恩講の満座相撲として行われた。「天長節相撲」や「明治記念相撲」などと呼ばれた。

昭和30年代

矢田新埠頭と七尾市街地を望む

昭和町から西側の埋め立てがされていない。矢田新町付近も家がまばらである。

昭和38年1月

三八豪雪

2メートル近く積もった雪で、七尾市全域は、大混乱となった。

昭和55~56年ごろ

能登島大橋建設現場

昭和54年に起工して、57年4月に開通した能登島大橋。能登島島民の夢の架け橋となった。

昭和56年2月

相馬小学校、雪の芸術祭

1~6年生までの縦割り班でチームを組んで制作。かなり大型の動物の雪像もあったそうだ。

昭和56年3月

田鶴浜小学校の創作凧

6年生は卒業記念として大凧を制作し、各班とで凧揚げを競った。

昭和57年7月

フェリーのと

昭和41年に七尾ー佐波間にフェリーが就航した。写真は能登島と穴水間の就航を記念したときのものである。

昭和60年代

中島町瀬嵐の七夕

七夕を船に飾り、沖で七夕の飾りを流す風習があった。願い事を海に流して祈ったのであろうか?

平成5~6年頃

中島町

高毛(たかも)の渡し

中島町長浦と能登島通町を結ぶ渡し舟。わずか500メートルの距離であるが、古くから渡しが人々の交通手段であった。

平成11年11月

旧能登総合病院

昭和39年に現在の七尾高校が建つ敷地に新築され、平成12年2月に藤橋町に移転した。

おじいちゃん、おばあちゃん。いつまでも元気でいてね。

わたしと孫ひ孫

竹森 とよさん

100歳

大正2年3月30日生

[中島町町屋]

ひ孫 竹森 なつみさん(13歳)

ひ孫 なつみさんから一言

一番の思い出は、私が畑のお手伝いをした次の日「手伝い、がんばったね」と水筒をプレゼントしてくれたことです。うれしかったです。100歳になっても元気な「おんちゃん(とよさん)」は自慢のおばあちゃんです。いつまでも長生きしてね。

 

藏田 ふみ子さん

100歳

大正元年11月9日生

[富岡町]

孫とひ孫

梅田 青空さん(10歳)

梅田 千栄子さん(38歳)

梅田 里央さん(7歳)

梅田 日菜さん(12歳)

孫 千栄子さんから一言

おばあちゃんの髪を切りに施設へ来るのですが、いつも周りのみんなを笑顔にしてくれます。この前私に「長生きしな」と言うので「ばあちゃんこそ、私より長生きしてよ」と言うと「400歳まで生きるわいね」と笑っていました。一日でも長く元気でいてほしいです。

 

杉田 うめのさん

101歳

明治45年7月26日生

[万行町]

ひ孫 安藤 里緒さん(7歳)

安藤 颯真さん(9歳)

ご本人から一言

最近は目が悪くなってきたので、ラジオを聴いてのんびりと過ごしています。だから、孫やひ孫が遊びに来てくれると、にぎやかでいいね。元気な姿を見るだけでうれしいです。また遊びに来てね。

ひ孫 佐藤 真衣さん(15歳)右上

小藤 響さん(6歳)右下

小藤 黎さん(11歳)中上

佐藤 晃大さん(11歳)左上

佐藤 友和さん(18歳)左下

 

小藤 きみ乃さん

100歳

大正元年10月22日生

[府中町]

ひ孫 友和さんから一言

孫14人、ひ孫25人います。県外に住む孫たちが帰省して顔を見せると泣いて喜んでいます。内孫の響をとても可愛がり、幼稚園バスの帰り時間をいつも気にしていました。とても面倒を見てもらい、僕たちも色々してもらいました。今度は僕たちが面倒を見るので、これからも元気でいてください!

 

瀧音 芳子さん

100歳

大正2年3月25日生

[田鶴浜町]

ひ孫 瀧音 莉子さん(11歳)

瀧音 桃子さん(8歳)

ご本人から一言

7人家族なのでにぎやかでいいですよ。ひ孫たちは、女の子なのでご飯を作るお手伝いをしたり、お客さんが来たらお茶を出してくれたり本当に気が利くかたい子です。たまにけんかもするけど、これからも姉妹仲良く元気におってくれれば何よりです。

 

池島と志ゑさん

100歳

大正2年2月2日

[藤橋町]

孫 池島 麻生さん(41歳)右上

池島 リエさん(46歳)右中

池島 ゆきさん(43歳)上中

池島 厚生さん(36歳)中中

前田 和也さん(56歳)左上

前田 武史さん(48歳)左中

前田 憲二さん(52歳)下

孫・池島厚生さんから一言

9人の孫がいるんですが、みんなばあちゃんに面倒を見てもらいました。私も小学生の時によく泊まりに行ってかわいがってもらいました。とにかくやさしいばあちゃんです。100歳まで生きてくれてありがとう。これからも1日でも長く元気でいてほしいです。

役立つ!もしもの時の緊急通報装置~安全で安心に生活を送れるように~

目的

一人暮らしの高齢者や重度身体障害者が、安全で安心に生活を送れるよう、緊急時の連絡装置を貸し出します。

緊急通報装置って何?

急病などの緊急時に、ボタンを押すだけで指定した連絡先へ通報できる装置です。連絡先には遠方に暮らす家族や、普段から付き合いの深い近所の人などを指定できます。

緊急時、すぐに対応できる連絡網を作ります。

【利用者の声】

坂本 さつきさん

89歳

家族は遠方に住んでいて、私は一人暮らしをしています。家族からは毎日朝晩に電話があり、安否の確認をしてくれています。

ある日廊下で身体が硬直し、動けなくなりました。いつものように家族からの電話が鳴り、助けを呼びたかったのですが、電話のある部屋まで行くことができませんでした。家族は、電話に出ないことに異変を感じ、近所の人へ様子を見てもらうよう連絡。かけつけてくれた人が倒れている私を発見してくれ、その後救急搬送されました。

それ以降、直ぐに連絡を取りたいのに取れないという事態がまた起きたらどうしようと不安も大きく、装置の申請に至りました。設置後は、首からかけるペンダントタイプのボタンを常に携帯しています。自身に異変を感じた時はボタンを押せばすぐに連絡ができるので、安心して生活しています。

 

利用料金

月500円程度

利用するには

福祉課に相談

申請

福祉課が調査し貸し出し決定

装置の設置

 

これで「まさか!」の時も安心やね。

一人暮らしでも心細くなくなるわ。

 

お問い合せは:福祉課

電話番号:0767-53-8463

お問い合わせ

所属課室:企画振興部広報広聴課

〒926-8611石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8423

ファクス番号:0767-52-0374

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