タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

神社等七尾里山里海百景083境内入口の鳥居の横にある社号標が目印注目される信仰遺品に、承久2年(14月1日には春祭り、9月第3日曜であるといえる。ったと伝わる。向田の人たちの信仰や心のよりどころとじまのしょう登嶋荘の地頭である長の古社を併せ祀った複合体の神社で、その中心を担ったのがは、谷せ鎌部べ倉む宗ね末の信ぶ期でのあ能産土の神を祀る社であるとともに、他社)の本殿造営が完成したとされるの。うぶすなこのように同神社は、この地を守る(伊夜比咩神る。った八幡宮現在の伊夜比咩神社となったとみられ山神社、のちには菅原神社も合祀し、ごうし神社が鎮座していた。それに加え、白(1306)し荘ょ能うち鎮登んじ守島ゅでのそあ惣うにめる神領・能登島御厨と称される神明と、嘉元4年みくりや能登島には、伊勢神宮にあった八幡神社と合わせて供ぐ祀さ祭いっも物つたを。納まつ鎮座していたが、のちに現在の場所にしんめい広い境内に続く正面の階段の上に社殿がある棟札によるている。財に指定され指定有形文化料として県の貴重な歴史資枚を所蔵し、復時の社殿造む棟な営ふ札だ・32修はじめは、東南方の山中という地に0)年に至るいやみを祀っている。23年(189ぐお功う大おしこ皇う屋や、ご后う津つ能ひ・あ姫め登ま天て命島ら照すをのお大お主総み神か神鎮み・と守と豊よしとう受け、ほ仰ん大誉だがの神田すれめほ天らたみか皇こ名と三・社じ神神ん。6)から明治4年(130神社には嘉元七尾市能登島の中心部・向田に位置そうちんじゅまた、こののである。県内最古のも神像としては能登島の総社として厚く尊崇される神社、県内最古の神像を遺すあり、在銘の伊夜比咩神社いやひめじんじゃぞし造う書ょ2だ男ん銘2し神んを0坐ざも)ぞ像うつのもが木く墨ぼくなっている。が行われ、県指定の無形民俗文化財と火祭」として有名な火祭(オスズミ祭)7月最終土曜日には、「能登島向田の日には秋祭りが行われている。そして、社殿の後方に本殿がある99参考文献―書籍『新修七尾市史15通史編Ⅱ』(七尾市)「寺社と信仰」P 519『図説七尾の歴史』(七尾市)「中世」P 42『能登島町史通史編』(能登島町)「古代の能登島」P 137-139『書府太郎上巻』(北國新聞社)P 616―ホームページ『石川県神社庁』「伊夜比咩神社」場所伊夜比咩神社/七尾市能登島向田町115-26地図へ