タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

祭礼七尾里山里海百景004人形見の人形宿。人形だけではなく曳山に載せる飾りがすべて展示される米町、神功皇后を飾る阿良町、藤原鎌じんぐうこうごうて、大黒天を飾る木町、恵比寿を飾る載せ、今度は曳山を飾り付ける。そし示されていた人形や飾り一式を曳山に翌、日曜日の朝、各町では、宿に展ができる。まで人形が展示され、誰でも見ること形宿」と呼ばれる。土曜日は夜9時頃家は当番制で割り振られ、当番宅は「人る「人形見」が行われる。人形を飾るにんぎょうみ曳山に載せる人形や飾り付けを披露す本祭前日の土曜日、前夜祭として、日、日曜日に行われる。であったが、現在は、4月の第2土曜旧暦が使われた時代は、3月の祭礼としている。藤原鎌足を載せた曳山では、三島町に仮宮をたてて、出祭りの町が遠く離れているため、この祭り分は市内西部地区にある。神社と氏子させたと言われる神社で、氏子の大部前田利家が、築城のため現在地に移転公園の隣接地・愛宕山に鎮座した神を、あたごやま礼である。氣多本宮は昔、小丸山城址能登生國玉比古神社(氣多本宮)の祭のといくくにたまひこじんじゃ曳山奉幣祭は、七尾市所口町にある春がくると七尾のまちに聞こえ出す、しゃぎりの響き動画へ曳山奉幣祭(ちょんこ山)ひきやまほうへいさいやまく大人に合わせ子どもたいる。また、三味線を弾さい)」ことと言われて比べて「ちょんこい(小来は、青柏祭のでか山にちょんこ山の名前の由帰路につく。となり、曳山は各町へと馬出町の裁判所前で6つの曳山が勢揃いする願う。そこで神事は終了それぞれが、無病息災を山町ごとにお祓いを受け、と奉幣祭が営まれる。曳ほうへいさい曳山が仮宮に集結する向かい、曳山を待つ。その後、三島町の仮屋にわる祭礼が執り行われる。ち鳥ょ七うを尾退で治妖し神た悪伝鬼説、に毒ま蛇つ怪ようしんあっきどくへびかいの祭神である大国主命がる。そこでは、氣多本宮日、まず旧社地に一方、神輿は本渡と祭ぎ御ょりす当みこしる様は見ものである。皆が力を合わせ、曳山を方向転換させ行われている。の仮宮に向かって、曳山を動かし出す。って作られ、広報を中心とした活動が若衆や子どもたちが綱を引き、三島町んこ山保存会」が地元の有志たちによつの見せ場である。演奏が終わると、取り組むことを目的とした団体、「ちょ笛や太鼓の音色が鳴り響く。祭りの一・継承に努め、郷土の文化資質向上による祭り囃子「しゃぎり」が披露され、また、ちょんこ山祭りの保存・発展合する。曳山の上に乗った子ども達にンチキ山」とも呼ばれる。昼過ぎに、馬出町の七尾裁判所前に集チャンチキ」と聞こえるので、「チャまだして楠正成の一本杉町の6つの曳山が、「しゃぎり」の音色が「チャンチキ、足の生駒町、住吉明神の亀山町、そしちが演奏する笛、太鼓、しょう鉦の祭り囃子9参考文献―書籍『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「町の民俗」P 314-325『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「民俗」P 272―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)「曳山奉弊祭(ちょんこ山)」『ちょんこ山祭り』(御禊公民館)場所能登生國玉比古神社/七尾市所口町ハ48地図へ