タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

季節によって違った表情を見せるり、冠婚葬祭に役立っていな広間になるのが特徴であの戸障子を取り外すと大き茅葺きの屋根が特徴の外観型」に分類される。各部屋型」になっている「能登Ⅱら仏間への間取りが「L字ていた。懐古館は、土間かり、地域によって分類され古屋敷町へ移住してきたと伝えられる。の頃の能登の民家には、三つの型があ尾城とその戦国城下町にゆかりが深い家の素朴な美しさが息づいている。そ珠洲市飯田町の出身で、江戸初期に七が組まれ、茅葺き屋根も美しく、古民居。飯田家は、能登半島の先端、現・建物は雪国らしい豪壮な柱と太い梁た加賀藩肝煎(庄屋)・旧飯田家の住た豪農旧家として知られている。かがはんきもいり懐古館は、江戸時代後期に建てられ江戸期を通じて、肝煎を永く務めてき七尾城下町の豪農旧家、地域文化の交流拠点としても活用される懐古館飯田家かいこかんいいだけ歴史七尾里山里海百景073・飯田博人によって七尾市へ寄贈され平成17年(2005)には、14代当主なり、一般公開されるようになった。市へ無償貸与されてから「懐古館」と昭和55年(1980)、住宅が七尾展示されている。英氏がサロンに参加したときの写真が氏、七尾市出身の直木賞作家・杉森久用され始めた。館内には、作家井上靖を開催。地域文化の交流拠点として利地域の芸術文化人が集う「文化サロン」飯田家住宅は、その間取りを活かし、一清と親密な交流を始めたことから、戦国期・守護大名畠山氏の後裔の畠山昭和初期の13代当主・飯こうえい田保臣が、たと伝わっている。囲炉裏の間、戸障子をはずすと大きな広間に飯田家の数々の所蔵品を展示座敷の欄間には、石動山縁りの図が両面掘りで施されている国登録有形文化財を楽しむ食事会が開催された。お膳を用いて、伝統的な祝い事の料理には、飯田家が慶事のために購入したして利用され、平成27年(2015)いる。また、地域の茶会や句会の場とでは、前夜祭の会場として利用されて毎年9月に行われる「七尾城まつり」た。参考文献―書籍『新修七尾市史16通史編Ⅲ』(七尾市)「近世七尾の町並みと住まい」P 453―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)「見どころ」『ほっと石川旅ねっと』(石川県観光連盟)「懐古館飯田家」場所懐古館飯田家/七尾市古屋敷町タ部8番地の6地図へ86