タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

国指定重要文化財である。現在は、外観のみ自由に見学が可能ている。長押を打つなど、古風な手法が残されあることが特徴でもある。またオエにあったりと、かなり閉鎖的な間取りでの境の1間を壁にしたり、納戸構えがm)ごとに立ち、オクノデエ・ナンドが狭くなっている。柱は1間(1・8平入り、入母屋造り、茅葺屋根の主屋間に張り出しているため、比較的土間き場)と並ぶ。カッテとイナバは、土・カッテ(勝手場)・イナバ(穀物置オエ(大広間)、裏側にナンド(納戸)(中座敷)を設け、土間寄りの表側に手にオクノデエ(奥座敷)ナカノデエは扠首組になっている。間取りは、上さすた素朴な構造の建物である。昭和47年で、入母屋造り、平入り、茅葺、小屋は鉋の使用が認められず、手斧を用い主屋は桁行7間半、梁行4間の規模かんな建てで茅葺きの屋根が特徴で、建材に肝煎を務めていた家柄である。きもいりに建てられたと推定されている。平屋の座主房と名乗っており、藩政期には代の享保年間(1716?1735)と、藤津比古神社を鎮守とする妙光寺ふじつひこ最古のものだと言われている。江戸時修作業が行われた。座主家は、もとも存しているこの様式の建物としては、成18年(2006)に茅葺き屋根の改登型」の建築様式を用いた民家で、現れ、昭和49年(1974)に住宅、平中島町藤瀬にある座主家は、「口能(1972)国の重要文化財に指定さざすけ現存する最古の口能登型民家座主家ざすけ歴史七尾里山里海百景071建物外観参考文献―書籍『新修七尾市史16通史編Ⅲ』(七尾市)「近世七尾の町並みと住まい」P 460『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「近・現代」P 190『金沢大学文学部文化人類学研究室中島釶打地区』(鈴木則行)「釶打の暮らし」P 37-42『座主家立て看板』場所座主家住宅/七尾市中島町藤瀬4-17地図へ84