タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

(祭場)説とが伝わる。に臨む立地から、建物は倉庫説と柱筋をそろえて整然と並ぶ配置さ祭いやで殿ん海ていたことが推定されている。大きさで、直径40cmの太い柱が使われまた、柱穴は長辺が1・5mに及ぶえられたといわれている。られ、そのあと、東側の3棟が建て替を主軸とし、最初に西側の3棟が建てる。6棟の建物は、いずれも東西方向棟ずつ配置されてい上の区画の中に、3西74m、南北39m以うに2列で並び、東平坦面に平行するよ大型建物は、段丘ののが確認されている。柱筋をそろえて整然と並ぶ万行遺跡も物のが6棟並んでいたの巨大な0m2からほ掘約った立3てば2柱しら0た建てm2で、床面積が約15には類例がないほどその規模は、国内いたとみられる。km、七尾南湾にせり出した低い台地に平成10年(1998)から行われた型建物群が存在して万行遺跡は、七尾市街地の東側約2ある縄文時代から中世までの複合遺跡。集落を廃絶させた大竪穴住居からなる小発見され、その頃、遺構・遺物が数多く国内に類例がない大建築、古墳時代の歴史を再考させる重要遺跡後半)を中心とする墳時代前期(3世紀万行遺跡弥生時代後期から古発掘調査によると、まんぎょういせき歴史七尾里山里海百景069国指定史跡国の史跡に指定された。とから、平成15年(2003)8月にく、建築史的にも貴重な遺跡であるこ政治状況を知るうえで重要なだけでなが考えられている。また、古墳時代の地域を越えた広範囲の政権勢力の関与技術が確認されていることから、能登には例を見ない巨大な規模と高い建築このように万行遺跡には、古墳時代古墳時代に、大型建物群があった万行遺跡を説明する立て看板参考文献―書籍『新修七尾市史14通史編Ⅰ』(七尾市)「古墳築造と地域社会」P 46『図説七尾の歴史』(七尾市)「原始・古代の七尾」P 18『書府太郎下巻』(北國新聞社)P 591―ホームページ『いしかわの遺跡』(石川県埋蔵文化センター)場所万行遺跡/七尾市万行町地図へ82