タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

七尾人の冬の食文化を作ってきた魚た鱈ら(マダラ)食七尾里山里海百景066り根付いている。るという食文化は、七尾の人にしっか膳」を食すなど、冬の時期に鱈を食べ月に行われる行事「起舟」では「鱈御きしゅう減ってしまった。しかし、今なお、2り、軒先に揺れる干し鱈を見る機会は七尾での鱈の漁獲量は年々減少しておとのできない風景である。残念ながら、光景は、冬の七尾において、欠かすこある。干し鱈が軒先に吊るされている身に鱈の魚卵をつけた鱈の子付けの保存食で食感が特徴とりとした干す。しっで吊るしてっぽから紐で薄味をつけて「じゃりこ」と呼ばれ固定し、しで〆た身にまぶし「子付け」や、だし開いたまま塩漬けにして塩辛に、たらこは、昆布の竹の棒でやアラは味噌汁や煮物に、胃や内臓は身を手作りふと様々な郷土料理をもたらした。鱈の頭ばいた鱈の軒先に吊るされた干し鱈大量に水揚げされた鱈は、地元にられた。さていた。干し鱈が作網にかかり、「鱈が湧く」とも言われると各家で代には、鱈が網の外へ流れるほど多くの入りになめ、昔からよく鱈がとれた。昭和20年つては、寒入るが、七尾湾は入り組んだ地形のたまた、か鱈は成長したのち産卵の際に浅瀬にる。ある冬の魚といえば、鱈である。べられてい尾の人にとって、より身近で親しみのど丸ごと食く水揚げされることでも有名だが、七く、ほとん雷と風が連れて来る冬には、寒鰤が多余すことなぶり古くから港町として栄えてきた七尾。る惣菜にと、干し鱈参考文献―書籍『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「漁村の民俗」P 80-83―ホームページ『川端鮮魚店』「おさしみ直送便」78