タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

収穫したばかりの沢野ごぼうと、沢野ごぼう事業協同組合初代理事長の中川さんくサクサクした歯ざわり、肌質の白さ江戸時代には、加賀藩の献上品として倍ある。馥郁とした香りと、やわらか寄せて分け与えたのが起源とされる。さは70cmふくいく、太さは普通のごぼうの約3社の神主が京都よりごぼうの種を取り作られる能登伝統野菜で、平均的な長沢野ごぼうは、その昔、沢野婆谷神沢野ごぼうは、七尾市沢野町などでが特長だ。長いものでは1mにもなる、長さと太さと香りが自慢の希少品沢野ごぼうさわの食七尾里山里海百景056入れている。さらに、品の流通防止に力をうの生産拡大と粗悪録を受け、沢野ごぼに地域団体商標の登平成23年(2011)業協同組合」を設立、には「沢野ごぼう事成19年(2007)っている。また、平のふるまいなどを行加賀藩の献上品であった沢野ごぼうと、ロゴマーク伝統料理「七日焚き」ごぼうの即売会や、開催しており、沢野野ごぼうまつり」を時期に合わせて「沢毎年10?12月の出荷いと願う地元有志が、ぼうを後世に残した2)からは、沢野ご平成14年(200少品となっている。かで、市場にはほとんど出回らない希減っており、近年の生産量はごくわず野ごぼうを栽培する農家はだんだんと連作障害が出やすいことなどから、沢ぼうよりも生産に手間がかかることや、る特産品であった。しかし、普通のごはもちろん富山県からも買い付けに来は53軒のごぼう農家があり、七尾市内最盛期の昭和45年(1970)頃にある野菜である。将軍家へも献上されていたという由緒どの新商品の開発にも取り組んでいる。れ、オーナー制度の推進、ごぼう茶な小学生やツアー客の収穫体験の受け入沢野ごぼうまつりで提供される「カフェれい」の沢野ごぼう丼(500円)縄でごぼうを「亀結び」に結え、一方の端を腰に結んで引き抜く参考文献―書籍『沢野ごぼうチラシ』(沢野ごぼう事業協同組合)―ホームページ『能登野菜公式サイト』(能登野菜振興協議会)「沢野ごぼう」場所七尾市沢野町68