タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

行っている。これは「ドロ流し」とい一方、「ため池」は多様な生物の生一度、地元住民が「ため池」の掃除をのも「ため池」である。市内の「ため池」のいくつかは年に怠ると一瞬にして大きなリスクを伴うている。死ぬということがあったほど、管理をは今なお「お池」と呼ばれて親しまれ駆けつけたときには堤が決壊して人が地元の人からも「お池」として親しまれる漆沢の池という経緯があるため、地元住民からが降りだしたのに気づかず、気づいて3年9カ月に及ぶ苦労の末に完成したきの対応であるという。かつては大雨われている。延べ1万人の地元農民ののうちもっとも大事なのは、大雨のとことを決断したことがきっかけだといを区費から支給している。池番の仕事右衛門平内が、漆沢の谷間に堤を築くり、規模や利便性に応じて、池番手当足に直面していた十村役(*)の北村源め池」には池番と呼ばれる管理者がおは享保10年(172とむらやく5)、深刻な水不それぞれの「たの水田を潤している。池が築かれたのめ池」があるが、350年以上を経た今日でも、約50haには数々の「たその他、七尾能登地方で最大規模を誇る。築造から実である。ており、周囲2km、深さ10mという、ることもまた事林水産省の「ため池百選」に選定され課題になってい西三階町にある「うるしさわ漆沢の池」は、農が地域の一つの業用水としての働きを続けている。「ため池」管理尾でも同様に、数々の「ため池」が農の減った現在、欠かすことのできない存在であり、七ら、農業従事者の地域において「ため池」は、農業にがかかることか池」が用いられてきた。現在でも多くに、管理に手間農業用水を確保する水源として「ためなる。このよう長い河川がない能登では、古くから、周囲は多様な植物が生育しているでの辛い作業にため、寒さの中1月に行われる「ため池」ある。12月から長い河川がない能登において農業に欠かせない、多様な生物が暮らするための作業で貯水能力を高めため池た泥を流し出し、い、底に堆積しいけ農七尾里山里海百景038の役を与えたもの。いわば地方の現場監督。において、豪農に十の村を治める代官所として(*)十村役/江戸時代、加賀藩が制定した農政制度ことができる。植物のモウセンゴケ、タヌキモも見るハス、ヒシなどの植物が生育し、食虫でもあるのだ。周辺にはサワギキョウ、も飛来する。生物多様性の象徴的な場生息し、冬になるとカモなどの渡り鳥タナゴ、シジミなどの多様な魚介類が活の場でもある。コイ、フナ、ナマズ、ため池の管理は定期的に行われる必要がある参考文献―書籍『新修七尾市史16通年編Ⅲ』(七尾市)「農村の民俗」P 269-270―ホームページ『世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル』(「能登里山里海」世界農業遺産実行委員会)「農林水産業」『ウェブナチュラ』(石川県土地改良事業団体連合会)「漆沢ため池」『ため池百選』(農林水産省)「漆沢の池」場所漆沢の池/七尾市西三階町地図へ46