タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

産業七尾里山里海百景033月夜に浮かぶ定置網と小型船形から、漁場と漁港の距離が極めて近る。沿岸から急激に海底が深くなる地有数の定置網漁場としても知られていやかで一年中漁を行う事が出来るため、そんな「天然のいけす」は、波が穏ることにも由来する。種という多品種の魚介類が生息していに分布する約800種のうち約500素と栄養分が供給されており、日本海とした北アルプスの山々から豊富な酸とにある。さらに、立山連峰をはじめ系と冷水系の両方の魚が生息できるこ日本海固有水(深層水)により、暖流馬暖流と、水深300m以下の冷たいの所以は、湾の表層を流れる暖かい対ど、豊かな水産資源の宝庫である。そ湾は、「天然のいけす」と称されるほ七尾市灘浦地区の眼前に広がる富山なだうら「天然のいけす」で、自然と寄り添い続けられる伝統漁法定置網ていちあみ網を引き上げる漁師達しい漁法とも言われている。使系を崩すことのない、自然に優乱獲することがないため、生態るのを待ち、それを引き揚げる。場所に仕掛けてある網に魚が入りも「待つ」漁法だ。決まった定置網漁は「捕る」というよと呼ばれる魚である。離れたところを泳いで移動する「ら水深数十m?百数十m程、海底う浮きう魚かお」らジ、タイ、ブリ、イカなど、海水面か網漁でとれる魚種は主に、イワシやア七尾周辺の海域に集中している。定置でも、石川県内の定置網のほとんどが所せましと設置されていたとか。現在座」と呼ばれるほど、大小の定置網がり、高度経済成長期には、「定置網銀尾が発祥の地の一つであるとされておほど古い歴史を持つ。定置網漁法は七時代の末期から始まったとも言われるは、戦国定置網漁七尾のている。後押ししの興隆を水揚げされた「がんどぶり」も、漁業きることへ供給で態で市場新鮮な状した魚をく、漁獲要因であることを覚えておきたい。また、人々の食卓を潤している大きないけす」の中で働く彼らがあることもうちに市場へと出荷される。「天然のなどで処理される。そして、その日の類ごとに素早く仕分けられ、氷や海水師たちは港に戻り、漁獲された魚は種揚げる。徐々に空が明るくなる頃、漁網を囲い、漁師たちは総出で網を引き湾を照らす中、大小の船が、仕掛けた前に港を発つ。月明かりと漁火だけが漁師たちの朝は早く、漁船は日の出なのだ。育成を守り、資源が保全される仕組み外に出ることができる。つまり、魚のれるが、稚魚などは途中の編み目からが細かくなるため、大型の魚は漁獲さ造になっている。奥に行くほど編み目魚の習性を利用した、迷路のような構われる網は、回遊しながら進んでいく徐々に陽が昇るなか行われる魚の仕分け作業39参考文献―書籍『図説七尾の歴史』(七尾市)「近世の七尾」P 102『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「近世」P 128―ホームページ『世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル』(「能登里山里海」世界農業遺産実行委員会)「農林水産業」場所(株)鹿渡島定置/七尾市鵜浦町8地図へ岸端定置網組合/七尾市庵町ム75地図へ鰀目大敷網(株)/七尾市能登島えの目町55-17地図へ(株)佐々波鰤網/七尾市佐々波町ソ-13地図へ寒鰤大敷網(有)/七尾市黒崎町イ-1-1地図へ白鳥定置網組合/七尾市白鳥町ア-104-1地図へ