タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

養殖は、米作りに次ぐ、である。今では牡蠣のて育成する方法が主流通したものを吊り下げテ貝の貝殻をロープに種苗を付着させたホタ養殖法」と呼ばれる、カダを使った「在も、延縄法のす垂い浮下かきし式きイ漁業者も増加した。現殖が可能となったため、の厳しいところでも養変遷し、沖合など条件イカダを使う方法へとその後、延縄法の浮き和倉温泉を背景に牡蠣棚が並ぶで養殖が行われていた。方法にて、比較的浅瀬ばまでは、竹を用いる古い。1970年代半り、取り組みの歴史は養殖の方法を学んでお蠣の餌となる豊富なプランクトンを育太郎という人物が広島や宮城で牡蠣の河川を通じて流れ出した栄養塩が、牡27年(1894)には中島町の橋本哲湾性が高く、さらに、周囲の山林から化するのは大正期からであるが、明治まれた海域である。七尾湾の中でも内七尾西湾における牡蠣の養殖が本格七尾西湾は、牡蠣の養殖場として恵てるからである。里山里海とともにつくり育て、還元する漁業牡蠣棚かきだな産業七尾里山里海百景032た牡蠣は、「剥き子さん」と呼ばれるむた牡蠣を吊り上げる。港に水揚げされに船で漁場まで行き、ロープに連なっ先にかけてである。まだ朝の早い時間育った牡蠣を収穫するのは秋から春七尾の重要な産業の一つとなっている。剥き子さんによる牡蠣の殻むき作業養殖される牡蠣元する漁業の一つの形といえるだろう。漁業であり、また、豊かな里海へと還然と人の手が生み出したつくり育てるながっているのである。牡蠣棚は、自水が浄化され、美しい里海の保全につ盛んに行われることにより、湾内の海化するという。つまり、牡蠣の養殖がり、最大で1日約100lの海水を浄の浄化能力は特に高く、牡蠣1個あた綺麗な海水を排出するが、中でも牡蠣どの栄養を取り入れることでろ過した、二枚貝は、海水からプランクトンなな取り組みが行われている。食中毒対策に関する研究など、積極的ての安全・安心な牡蠣のブランド化、湾出張所を中心に、「能登かき」とし石川県漁業協同組合ななか支所七尾西洗浄された後に出荷される。近年では、人たちによって手作業で殻を剥かれ、養殖された牡蠣。小ぶりだが味が濃いのが特徴参考文献―書籍『図説七尾の歴史』(七尾市)「近現代の七尾」P 156『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「近・現代」P 238『図説中島町の歴史と文化』(中島町)「近現代」P 160場所七尾市中島町38