タイトル:七尾里山里海百景

ページ
33/120

このページは 七尾里山里海百景 の電子ブックに掲載されている33ページ目の概要です。

「このページを開く」か「最初のページを開く」で、ぞれぞれのページが開きます。

概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

産業七尾里山里海百景027田鶴浜建具の特徴である精細な組子技術上質な和の趣を生み出す360余年の時を経て息づく伝統の技、塗りの豪華さと精巧な組子が田鶴浜建具たつるはまたてぐ趣を演出している。などさまざまな製品に細工され、和の田鶴浜建具では、障子戸、襖、硝子戸使わずに木を組みつける細かな技法で、子」の気品さにある。組子とは、釘を「塗り」の豪華さと、木が織りなす「組田鶴浜建具の特徴は、重厚さが漂う具の産地として発展していった。技術が受け継がれ、全国有数の木造建て、精巧で優美な細工と仕上げの伝統以降、何代にもわたる職人たちによっのが「田鶴浜建具」の始まりとされる。が弟子入りし、優れた技術を習得したいたことにあった。そのときに、村人から指物師(木工品の専門職人)を招さしものし寺である東嶺寺を建立するため、尾張0)、鹿島はんごおり半郡を治めたちょうつらたつ長連龍の菩提その技術の発端は、慶安3年(165して知られ、約360年の歴史をもつ。七尾市田鶴浜地区は「建具の町」と現代建具ている。木の味わいを生かした建築物も作られ介護施設の内装に組子細工を施すなど、などに木製の戸を利用したり、病院や残そうと、七尾市内の小学校や保育園また、その伝統技術と魅力を後世に技術をもつ職人に受注があるという。和空間を求めるニーズは根強く残り、宅事情の中でも、住まいに上質な襖の真ん中に組子がはめ込まれた中抜き襖ていった。しかし、そのような住仕事も減少。事業所も徐々に減っより、和室が少なくなるにつれ、たという。近年、住宅の洋風化にける傾向が強い、富山県が多かっ販路は、国内でも住宅に資金をか同地区に約70の事業所があった。発展していった。昭和50年代には、り、田鶴浜地区の基幹産業として昭和30年頃から高度成長の波にの設によって次第に需要が高まり、同建具は、戦後復興期の住宅建33参考文献―書籍『田鶴浜町史現代編』(田鶴浜町)「産業・経済」P 442-461『田鶴浜建具パンフレット』―ホームページ『田鶴浜建具』(田鶴浜建具工業協同組合)