タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

行われ、七尾市や中能多本宮で新嘗祭が執りにいなめさいる。翌日は所口町の氣ところぐち目は七尾市内に宿をとら勧進して回る。1日一人が賽銭を受けながさいせんべー」と連呼し、もうっとりべー、うっとりぎ、一人が先触れで「う人の鵜捕部が交代で担籠に入れられた鵜を3白装束に烏帽子姿で、氣多本宮での神事えぼしら選ばれた3人一組。渡島に住む20人の中かは「鵜捕部」と呼ぶ鹿うとりべと称し、捕獲するのは「鵜捕主任」を道のりを徒歩で運ぶの捕獲される。地元ではこの鵜を「鵜様」氣多大社まで約40?の崖」と呼ばれるがけ海鵜の羽休み場で毎年「鵜様」を交代で担ぎ、うみう鵜浦町鹿渡島の観音埼灯台下、「かどしまこの鵜は、崎山半島の先端、七さきやま鵜う尾と捕り市編んだ籠に入れられたかご「鵜様道中」は茅でかや吉凶が占われるもの。合わせる。動きと、止まった時の向きで、翌年の多大社への出立に間にへ鵜を放し、鵜が案上に止まるまでの捕らえ、12日未明の氣ろうそくのみに照らされた案上(机上)年12月10日頃より鵜を月16日の未明に行われる神事。一対の崖は神聖な場所とされ、鵜捕主任は毎鵜祭りは羽咋市の氣多大社で毎年12代々務める小西家の当主である。鵜捕はくいけた例年の吉凶を占う鵜を捕らえ、氣多大社に歩いて運ぶ鵜祭りうまつ祭礼七尾里山里海百景025鹿渡島観音国指定重要無形民俗文化財から信仰のよりどころである。300mほどの小さな島があり、古く「鹿渡島観音」でよく知られた周囲崎山半島の先端、鵜浦町鹿渡島には、文化財に指定された。鵜様に手を合わせる沿道の人年(2000)12月に国指定重要無形を見ない習俗であることから、平成12神事形態を残しており、全国でも類例続けているこの鵜祭りは、古い形式の400年以上の歴史を現在でも守り放たれる。鵜は、羽咋の海岸で神事が終わった後の日未明の神事に臨む。日休息をとって、16古い形式の神事形態を残す氣多大社に入り、一泊まる。翌14日には鳥屋町)の鵜家家にを経て、中能登町(旧登町二宮の旧宿場筋参考文献―書籍『いしかわ人は自然人第58号』(橋本確文堂)「特集石動山・灘浦」P 25-28『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「鵜祭」P 530-53830