タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

ちょうど鱈漁の最盛期にあたるので、それぞれ大いに酒を飲む。この時期はかれるが、当日は無礼講とされており、後は網元や船頭の家で開かれる宴に招り、竹竿の先端に笹の束を結ぶ。その大漁旗を立てて起舟を祝う。豊漁を祈漁師たちは朝の漁を終えると、船にる、重要な行事である。にとって、春と秋の恵比寿講に匹敵すえびすこうれは、旧正月の祝いであり、漁師たち月11日になると、起舟が行われる。こきしゅう七尾市の海沿いの集落では、毎年2新年の豊漁祈願の宴起舟きしゅう祭礼七尾里山里海百景024鱈御膳る行事となった。では、漁業関係者のみに見られこの風習は徐々にすたれ、現在ていたものと考えられる。戦後、る新年のあいさつとして広がっ支配・被支配の上下関係におけとから、漁業に関係しなくとも、てもこの行事が行われていたこう。豪農と小作農の関係におい祝詞を述べる日でもあったといどが土産を持って武士家を訪れ、初)といい、役をもった農民なたが、藩政期には、キッショ(吉を行うという漁師の行事であっを起こし、漁に向けての準備・前祝いもともとは、冬場に休ませていた舟いたという。親の持って来るお土産を楽しみにしてが用意されており、昔の子ども達は父や紅白の板付きかまぼこ、ぼた餅などる。家へのお土産には、ミカンの小箱ど、鱈三昧の「鱈御膳」が振る舞われたらごぜんし寿司、もちに魚卵をまぶした雑煮なでんぶをまぶし松竹梅をかたどった押付け」や、焼き物の器に入ったアラ汁、旬の鱈の卵を刺身にまぶした「鱈の子大漁旗がかかげられた能登島鰀目漁港の船29参考文献―書籍『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「漁村の民俗」P 117『能登島町史資料編第二巻』(能登島町)「島の儀礼伝承-生業の諸相-」P 906―ホームページ『世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル』(「能登里山里海」世界農業遺産実行委員会)「文化・祭礼」場所鰀目漁港/七尾市能登島えの目町地図へ