タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

と呼ばれる笠や扇子、孟宗竹に飾る「くさ」備が行われる。その後、ど、翌日に向けての準に松を立てかけ飾るな場所。町会ごとにある)出し、宿(祭りを行う集まり、孟宗竹を切りもうそうだけ田鶴浜町住吉神社の左義長。町の男衆が正月飾りや書き初めなどを燃やす神社に法被姿の若衆がわれる。前日は、住吉は、2日間をかけて行田鶴浜地区の左義長で続けられている。上野ヶ丘の8つの町会南、登、丸山、殿、西、事は、現在も、東、中、まったとされるその行される。江戸時代に始2月に、左義長が開催職人たちが休みとなる文が少なくなる冬場、る田鶴浜地区では、注中国の朝廷儀式が日本に伝わり、正月長は1月に行われるが、建具の町であちで行われる。左義長は、もともとは七尾市内のほとんどの地区では左義小正月の火祭りである左義長があちこと考えられている。新しい年があけてしばらくすると、行事の邪気払いとして定着した行事だじゃき新年の無病息災を祈る祭礼の色々なかたち左義長さぎちょう祭礼七尾里山里海百景023ウ」など呼ばギチョウチョギッチョ」「サ左義長は「サ能登島でも、行事である。たたかな年中感じられるあのつながりが集まり、集落集落の人々がやかながら、年の無病息災を祈る。ささ飾りなどを持ち寄って、新また、各家々の人々が正月書き初めを持って集まる。子どもたちが自分の書いたといういわれから、地域の上がるほど字がうまくなる天高く火の粉になって舞いれる。書き初めを燃やしてけた竹を倒し、火がくべら神事が執り行われる。そして、飾りつ当日は、飾りつけた竹を立てた後にけをするのである。の全家庭が協力して、左義長の飾りつ家庭で二つずつ作成してもらう。地区る人型の飾りで、左義長に先立ち、各青、緑、黄、白の色紙を折って作られのが「御赦免」である。これは、赤、ごしゃめん竹を飾る飾りの中でも最も特徴的なわれる。御弊などを制作する「くさだち」が行御赦免を飾り付けた高さ15 mほどの孟宗竹御赦免を持った子ども能登島長崎町のサギチョウチョウ市指定無形文化財(田鶴浜町の左義長)うと、毎年継続して開催されている。活し、子どもたちにその伝統を伝えよ自然の里ながさき」の活動によって復しまっていたが、平成26年、「能登島われている。一時はその伝統が廃れてごと燃やすという、珍しい左義長が行屋にくくりつけた正月飾りなどを小屋特に能登島長崎町では、竹で作った小れて親しまれ、各地区で行われてきた。参考文献―書籍『田鶴浜町の歴史下』(田鶴浜町)「年中行事とお祭り」P 252『能登島町史資料編第二巻』(能登島町)「島の儀礼伝承-生業の諸相-」P 902場所住吉神社/七尾市田鶴浜町ニ252地図へ能登島自然の里ながさき/七尾市能登島長崎町地図へ28