タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

祭礼七尾里山里海百景018出会いの虫送り、中島町外地区と小牧地区の虫送り。大学生の人足なども参加している事前の神事で配られ、決められた田に配置される御幣子どもたちにとっては、火を扱うことを学ぶ貴重な機会なかった時代、稲の葉様な農薬に頼ることの虫送りとは、多種多めの重要な一つである。も、その関係を保つたに生きるものにとって、集落は共同体ることが何よりも求められる。虫送り小さな単位でのつながりが続く集落であり、集落の人々と「ともに」生き脈々と受け継がれる、ムラの心と、虫送り虫送りむしおくいう。し込まれるが、虫除けの意味も持つとの御幣は集落ごとに決められた田に差行われ、各地区に御幣が渡される。こごへいりの1週間前、藤津比古神社で神事が鳥越地区が同日に開催している。虫送では、出会いではないが、藤瀬地区、とされている。また、中島町鉈打地区な出会いの虫送りは全国的にも珍しい合流するという流れである。このようのため2地区が行程の途中で出会い、で同じ日に虫送りが行われている。そも、中島町の外と小牧では2つの地区そでおまきで虫送りが続けられている。その中で七尾市内では現在でも、一部の集落大事な行事となっている。担う一員となる意識を植え付けていく、は、集落単位で行われ、将来、集落をれてきた。子どもが関与するこの行事によって、集落間の関係は、長く保たどまらず隣接する集落が連携することに送り出すというように、1集落にとし、追い出された害虫は次々と海の方しかし、奥の集落から順番に虫送りを時には喧嘩になることもあったそう。が隣の集落につくということもあり、中行事である。かつては追い出した虫頃にかけて集落ごとに行われていた年害虫の発生する6月中旬から7月初旬るウンカといった虫たちを払うため、候不順の年の稲の出穂時期に大発生すを枯らしてしまう二化螟虫のほか、天にかめいちゅうを白く枯らしてしまうドロ虫や稲の茎る。能登の初夏の深みを味わうことができ情緒豊かな雰囲気を醸し出しており、つの炎と提灯のぼんやりとした灯りはな田園風景にゆらゆらと揺れるたいまかけ声が飛ぶようになってきた。静かが参加し、ささやかながら、賑やかな足として他集落の若者や県内の大学生味も込められているという。現在は人集落内のけがれや悪霊をも追い払う意を歩く。草陰に隠れた虫だけでなく、いけ」とかけ声を掛け、水田のあぜ道ロ虫や、でていけ」「ウンカ虫、でて持ち、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら「ド虫送り当日は、一人ひとりが松明を夕暮れ時の中、松明の列は幻想的23参考文献―書籍『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「漁村の民俗」P 120/「信仰と祭礼」P 544『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「民俗」P 264場所七尾市中島町西岸地区(小牧・外)地図へ七尾市中島町釶打地区(藤瀬・鳥越)地図へ