タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

紙吹雪が舞い、夏の青空にそびえる奉燈ていた納涼祭を、明治時代、網大工の地下足袋姿の男衆たかつて、度重なる大火が原因で中断しし、ねじり鉢巻き、開催される石崎八幡神社の祭りであり、0人の、法被にさらこの祭りは、毎年8月第1土曜日に1基に対して約10る。絵が描かれている。祭は、最も勇壮華麗とされる祭りであのよい漢字と、武者熱い盛り上がりを見せる石崎町の奉燈ぞれの奉燈には縁起る。その中でも、海の男達が年に一度約2t。7地区それ文化財(日本遺産)」に認定されてい高さ13?15m、重さ録作成等の措置を講ずべき無形の民俗抜いて巨大な奉燈は、「能登のキリコ祭り」が、国の「記能登の中でも群を燈は欠かせない存在である。いたといわれている。る。そんな七尾の夏祭りにおいて、奉納涼祭は祗園系の山車で執り行われてから祭り囃子の練習の音が聞こえてく再開したことに由来する。大火以前の夏になると、七尾では町のあちこち口添えで奥能登から古い奉燈を移入し巨大な奉燈が狭い路地を練り歩く、漁師町の熱い夏祭り動画へ石崎奉燈祭いっさきほうとうまつり祭礼七尾里山里海百景015を後押しする。リズムを奏で、奉燈の動きみ、太鼓と笛、しょう鉦で祭りの衣姿の子どもたちが乗り込練り歩く。奉燈の上には浴がら、漁師町の狭い路地を威勢の良いかけ声をあげなサイ、イヤサカサー」と、は「サッカサイ、サカサッちが担ぎ手となる。男衆ら巨大な奉燈を担ぐには、少しのバランスの乱れも命取りになる。男衆らの揃った足並みも見どころうに続けられる。りは朝方まで、終わることを惜しむよか、大奉燈の乱舞が繰り返される。祭開かれ、町では男衆のかけ声が響くな町は担ぎ手と見物人で足の踏み場もないの家々では家の戸を開け放っての宴が祭りはどんどん熱を帯びていく。町中踏み場もないほどの見物人が集まり、よ灯りの灯った奉燈を見ようと、足のれる。暗闇があたりを包む頃、いよいにも、各町の大奉燈の乱舞競演が行わ場で大漁祈願神事が行われ、その前後夕刻には神輿のお旅所である堂前広みこし夜、灯りの入った奉燈が並ぶさまは、幻想的参考文献―書籍『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「民俗」P 280―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)「石崎奉燈祭」場所八幡神社/七尾市石崎町ロ52地図へ20