タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

日吉神社前で列を成す奉燈立てが行われる。その後、奉燈を集落祭り当日は、午前中から奉燈の組みなった。たが、7月最終土曜に行われるように来は17日と固定した日での開催であっの祭り同様担い手が減少しており、元日吉神社に勢揃いするこの六保納涼祭も、他の能登の多くち4人、太鼓打ち4人、鉦2人、奉燈ある。行列は本社1人、高張2人、太鼓持が、豊田町の日吉神社に集う夏祭りでいう。奉燈と、しょう鉦、太鼓、奉燈からなる行列船を2艘つなげて川から運んでいたと筆染・崎山の7末社から担ぎだされるふでそめる昭和25年(1950)前後までは、土川、豊田、豊田町、河崎、奥吉田、の道を車で移動しているが、橋ができ頃に行われる納涼祭である。中島町の動は、奉燈、担ぎ手ともに日用川沿いている六保納涼祭は、稲穂が出そろう神社に向けて出発する。今ではこの移「六保のおすずみ祭り」とも言われごとのお宮に運び、夕方、本社の日吉ささやかでありながら、見応えのある奉燈の乱舞ほうとう六保納涼祭ろっぽのうりょうさい祭礼七尾里山里海百景013市指定無形民俗文化財くのことである。った祭りが全て終了するのは、深夜近合わせて帰省する人も多い。盛り上が素朴な風情を感じさせる。この祭りに中に浮かび上がる様子は、幻想的で、旅所に向かう奉燈の灯りが田園風景の上げは激しく見応えがある。また、おきなどに行われる奉燈のお練りやさしる前や、お旅所に向けて本社を出ると的規模は小さいといえるが、本社に入登の他の地域の納涼祭に比べると比較鼓や鉦に合わせた乱舞がはじまる。能吉神社にたどりつくと、太の灯りを点けた奉燈が、日社から集まった大小約10基神輿とともに各集落の末みこしっているという。んとか地元で人足をまかなり、納涼祭においては、なに出させるという方針をとは、小学生になったら祭りたと言われている。筆染で抱えている人手不足があっちろん、どの集落も同様にたという。その背景にはもらで、筆染地区が最初だっなったのは平成に入ってか子が祭りに参加するように担っている場合がある。女このうち女子も何かの役を燈の綱をもつ役)4人で、の担ぎ手20人、綱持ち(奉祭りの行列を先導する天狗お旅所に向かう行列。奉燈の灯りが、田園風景の中に幻想的に浮かび上がる参考文献―書籍『中島町史通年編』(中島町)「近現代」P 749『金沢大学文化人類学研究室調査実習報告書16』(宇田川妙子)「笠師保の祭り」―ホームページ『能登スタイル』場所日吉神社/七尾市中島町豊田町ヲ42地図へ18