タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

が海に向けて出発する。桟橋につくと、少し遅れて同様の儀礼が行われ、行列けて出発する。海側の唐島神社でも、行われた後、神輿と奉燈2基が海に向後7時半頃に山側の日面神社で神事が本格的な祭りは夕方から始まる。午響が伝わったものと考えられている。者が多かったため、石崎町の祭りの影れた。当時、塩津には石崎からの婚入ッカサッサイ」というかけ声が加えら燈や神輿を担ぐ際の「サッカサイ、サとうみこしり囃子に笛が使われるようになり、奉ほう海に浮かぶ流し火と奉燈の灯りは幻想的な雰囲気をかもしだす仕方が変化したのである。この後、祭た。つまり、この時期を境に、祭りのたき方などを覚えている者はいなかっされたものの、その時すでに太鼓のたは一旦中断されてしまった。後に復興題が起き、分町問題の過程でこの祭り戦後、塩津集落の帰属をめぐる分町問う歴史によって、変遷をたどってきた。も大津地区と密接な関係にあったといこの祭りは、塩津が、笠師地区よりる。いうのが、「塩津かがり火恋祭」であ山の手の日面神社の2つの神社がある。り火の周りで出会い、夕涼みをするとひめん中島町塩津には、海手の唐島神社とこの2社の神が、海上に焚かれたかがからしま海面で繰り広げられる、幻想的な恋祭り動画へ塩津かがり火恋祭しおづびこいまつり祭礼七尾里山里海百景011の一路は、神々海面に漂う灯りき、火を付ける。次へと海面にお年団員が次から小舟に乗った壮される。それを000個が用意よかっら壮て年2団?員3,にの当日の朝早くで、毎年、祭りのを載せたもの蓮の葉の上におがくずと油の混ぜたもし火が海面に流される。流し火とは、このとき、その船を先導するための流海上に焚かれているかがり火に向かう。神輿と奉燈はそれぞれ船に乗せられ、神輿を載せ、出発を待つ舟お旅所に向けて練り歩く奉燈市指定無形民俗文化財ことである。につく。祭りが終息するのは、夜半のことを楽しみにして、それぞれの帰路ろ髪を引かれながらも、また来年逢うわれ、祭りが終了となる。神々は、後所に落ち着くと、神輿の前で神事が行を繰り返す。両神輿と奉燈が所定の場に鳴り響き、奉燈はさらに激しく練り旅所に着くと、太鼓や鉦・笛が高らかけ声とともに、盛り上がっていく。おそれまではおとなしかった奉燈も、か桟橋に戻り、陸路をお旅所へと向かう。その後は、両者ともに日面神社側のは火の周りを大きく3周めぐる。が打ちあがり、神輿と奉燈を載せた舟る。神々の逢瀬を祝福するように花火と神輿の船が海上のかがり火に到着す太鼓やしょう鉦の音とともに、両社の奉燈を誘導する、幻想的な道しるべとなる。参考文献―書籍『中島町史通年編』(中島町)「近現代」P 752―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)「塩津かがり火恋祭り」『石川新情報書府』(石川県)「塩津かがり火恋祭り」『能登観光ポータルサイトのとねっと』(のと里山空港利用促進協議会)「塩津かがり火恋祭り」場所唐島神社/七尾市中島町塩津久々浦イ64地図へ日面神社/七尾市中島町塩津サ1地図へ16