タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

祭礼七尾里山里海百景008橘町から出される「ちょんこ山」仕様の曳山女良浜通り、作事町、相生町)から1り、同町川渕通り、同町七軒町、同町この祭りでは、各町会(府中町浜通切りであった。いたこの互市祭が、能登の納涼祭の皮いるが、本来は7月1日に開催されて切りは能登町のあばれ祭りと言われてとも呼ばれていた。能登の納涼祭の皮に素麺を食べることから「素麺祭り」ンドリ祭り」、あるいは、祭りの馳走の開催が多いことから「雨祭り」、「バいがこめられている。かつては雨の中には、互いに市が栄えるようにとの願が担ぐ以外に小若連中の担ぐ小奉燈をばれているのが互市祭である。その名輌、曳き出される。その他、青壮年会ごいちさい「印鑰のお涼み(奉燈)祭り」とも呼からは「ちょんこ山」仕様の曳山が1ほうとう七尾市府中町のいんにゃく印鑰神社の夏祭りで、基ずつ奉燈が担ぎ出されるほか、橘町能登における納涼祭の皮切りとなる祭礼互市祭ごいちさい女良浜通りに並び、神事の順番を待つている。ワッサ」と呼ばれン」とか、「ワッショッショイガンガだ。地元では、「ワ歩き回るというもの叩きながら自町内をに合わせ、一斗缶をイ」の唱和の掛け声ッショイ、ワッショ童が隊列を組み、「ワ幼稚園児と小学生児を示す合図であり、とは、祭りの始まりである。「祭り触れ」れ」に使われる御幣て行われる「祭り触時から4時頃にかける。これは、午後3の御幣」が授与されごへいッショウワッショ)ウワッサ(またはワ職による祓いの後、各町へは「ワッショで組み立てられ、飾り付けされる。神一方、奉燈は、祭り当日の朝、各町れる。はまた、神輿から本殿に戻され安置さの後、社殿にて午後4時、印鑰か還ん神ぎ御ょ社祭へがと行帰わ還れす、る御み。た霊まそきかんの後、神輿は市内中心部を練り歩き、において神輿の出御祭が営まれる。そみこし祭り当日の午後2時、印鑰神社社殿出す町もある。られる。でに片付けられ、元の保管場所に納め壮年会のメンバーによって当日深夜まに練るが、たいていの町の奉燈は、青る。戸数の多い町内では自町内をさらを練り、奉燈は各自町内に担ぎ戻され礼が営まれる。神事の後は、また広場社殿内にたどり着くと、町内ごとの祭の奉燈は、到着順に鳥居前広場を練り、つでもある。印鑰神社に到着した各町並ぶ様子は、この祭りの見どころの一り歩く。ぼんやりと灯る奉燈が一列に号線)に揃い、順に、印鑰神社まで練を練る。そして、女良浜通り(市道1りの点った各町の奉燈はまず、自町内陽が落ち、あたりが暗くなると、灯飾り付けされた各町の奉燈13参考文献―書籍『新修七尾市史13民俗編』(七尾市)「町の民俗」P 326―ホームページ『ななoh!ネット』(七尾市観光協会)『能登観光ポータルサイトのとねっと』(のと里山空港利用促進協議会)場所印鑰神社/七尾市府中町223地図へ