タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

その他七尾里山里海百景100118せいちょうのとふなうた正調能登舟こぎ唄朗々と唄い継がれる、漁師町ならではのメロディ動画へ正調能登舟こぎ唄は、古くから七尾ろうさくうた市石崎町を中心とする漁師町の労作唄(共同作業を行うとき全体の統一をはかるため、また単調な仕事の気分転換をするために唄われた唄)、またはざきょううた座興唄(座敷芸としての唄)として唄われてきた民謡である。朗々と唄われるメロディは大変美しいもので、尺八のみが伴奏の竹物民謡としては、広く知られている。労作唄としては、飴を積んだ舟で能うかわうしつ登半島の内浦沿岸を、鵜川、宇出津、松波、飯田などへと行商にでかけ、飴の原料である麦を仕入れて帰るときに唄った、とも、あるいは、薪取りの往復の道のりで、舟を漕ぎながら唄った、とも言われている。ろかいしかし、実際、舟の櫓や櫂を握った古老が体で舟を動かすという重労働をしながら唄えるようなものではなく、手を休め、順風にのって帆走するときに唄ったのだろうと推測されている。これまで唄われてきた歌詞は、近作のものを含めて三十二句あり、その詩型は、七・七・七・五の近世調である。漁業に関わる風俗を唄ったものが主であり、四句目の頭に「サイカ」またはやしうたは「エカ」の囃子詞がつくのが特徴だ。旋律はゆったりと伸びやかな速度で独唱され、下行の旋律線を基調とした陰音階である。その唄い方は、同じ歌詞でありながらも、石崎町では、「元唄」と「新節」の二種類で伝えられてきた。正調能登舟こぎ唄保存会では、元唄のほうを正調とし、この唄の母体は、能登の盆踊り唄、「青田もどき」であるとも、「木遣り唄」であったとも、いわれるが、定かではない。昭和三十年代の初めに、新節の伝承者・前浜信太郎が「能登舟こぎ唄」と名付け、新節が普及するきっかけとなったと云われており、現在は、青柏民謡会によって継承されている。能登民謡祭などでは、その特徴のある美しい尺八の旋律と、伸びやかな歌声を聞くことができる。市指定無形民俗文化財アー殿まの艪を押す姿早稲の出顔でサーようようと(アーソラ漕げソラ漕げ)アーよい子さの守やお抱きたいはのサー守りともに(アーソラ漕げソラ漕げか)こアー押せ押せ船頭さんも舟子も押せば港がサー近くなる(アーソラ漕げソラ漕げ)アー舟はまともに帆は真ん中にいとし殿まはサー矢帆の影(アーソラ漕げソラ漕げ)アーあいの朝なぎ下りの夜なぎ真風たばかちサー昼になぐ(アーソラ漕げソラ漕げ)(一部抜粋)参考文献―書籍『新七尾の民謡と童唄』P 35『七尾市の文化財』P 88―ホームページ『ほっと石川旅ねっと』(石川県観光連盟)「能登舟こぎ唄」青柏民謡会によって継承されている。写真は和倉温泉で行われた「能登民謡祭」の様子