タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

その他七尾里山里海百景095一面が緑色に染まる夏の御手洗池の起源までさかのぼ池の歴史は赤倉神社ここにある御手洗ができる歴史ある赤倉神社の境内を中され、歴史遊歩道や展望台などがある。奈良時代まで起源をさかのぼること心にして、「赤蔵山憩いの森」が整備あかくらやまいこんだ水を湛え、神秘的な雰囲気をかもし出している奈良時代に作られた人工池と推測される池は、名水百選に選ばれた澄御手洗池みたらしいけ池の水はよく澄み、底の藻類がくっきりと見える名水百選(昭和60年選定)周辺の水田約20haを潤している。水池からは3本の用水に流れ出ており、「みなぐち」と呼ばれる地点にある貯池の直下、アースダムで堰き止めたしないと飲むことはできない。た。現在、藻類が繁る池の水は、煮沸(当時)の名水百選の一つに選定さればれ、昭和60年(1985)に環境庁地域では「赤倉神社のお池」とも呼われている。が落ちないように考えられたものと言いう伝説があるが、それは子どもたちり、「アカクラ」の地名が生まれたと元旦の夜に赤い鞍が水面に浮かび上が緒にこの底なしの池に落ちて亡くなり、戦国時代に、敗走した武将が馬と一い。浮かばせる同心円の波紋ができ、美しの水の表面には、湧水がそこかしこに繁茂する藻類が透けて見える澄んだ池そうるい「みなぐち」にある貯水池には一周できる遊歩道もある蔵山のふくりゅうすい伏流水が湧出している。池底にと考えられている。池の底からは、赤斜面を削って人工的に作られたものだ御手洗池は水位を上げるために山の神社で元旦の若水にも使われている。されたと伝えられる霊泉である。赤倉り、聖武天皇の東宮の眼病治療に使用しょうむてんのうとうぐう113参考文献―書籍『田鶴浜町の歴史下巻』(田鶴浜町)「史跡」P 170―ホームページ『ほっと石川旅ねっと』(石川県観光連盟)「赤蔵山憩いの森」場所御手洗池/七尾市三引町地図へ