タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

「鹿渡島観音寺」と親しまれる観音堂七尾湾に突き出た小さな島・鹿渡島観音」と呼ばれている。と記されており、古くから信仰の寄り音堂があり、「鹿渡島は観音あり、霊験ありてりゅうとう島のほぼ中央には観また、『能登名跡志』る景勝地である。名は、この話に由来していると龍に燈は折、「々か角どいあし島まうりに。」峰や能登島を眺められ長い名を贈ったという。「鹿渡島」の晴れた日には、立山連「龍燈山龍華樹院観音自在寺」というりゅうとうざんりゅうかじゅいんかんのんじざいじ突き出た周囲約300mの小さな島。ため、観音埼灯台が設置されている。う不思議な霊験話を聞いた文武天皇が、鹿渡島は、七尾市の最東北端の海に古来より、船の往来が多い場所であるその観音に青竜が竜灯を捧げた」といっていった。頭上の玉が観音になり、いただいた一角五色の霊鹿が、島を渡れいろく後の文武天皇の頃、「頭上に輝く玉を七尾湾に突き出た小島に鎮座する観音様、古くからの信仰の拠り所鹿渡島観音の由緒は古く、8世紀前千手を持つ観音であった。鹿渡島観音両側部に他手の欠損痕があり、本来は観音様は、現在八手となっているが、かどしまかんのん神社等七尾里山里海百景088晴れた日には立山連峰まで望める市指定天然記念物(観音島海浜植物群落)多くの信仰者が参詣する。巻きがあり、海に携わる者をはじめ、毎年3月15日は、今日まで守られて続し釈ゃけ迦かて涅ねいは槃んる会え。の団子朝晩に喚鐘を鳴らすなどの世話をし、観音堂は、堂付近の6軒が、昔から渡嶌観音」額がある。没した加賀藩老本多政敏の揮毫、「鹿まさみちきごう央正面には、正徳5年(1715)に来立像などが安置されている。堂内中徳太子一六歳の作といわれる阿弥陀如堂には、本尊千手観音菩薩立像、聖所であった。参考文献―書籍『図説七尾の歴史と文化』(七尾市)「近世」P 144-145『能登国三十三観音のたび』(西山郷史、上陽子)P 28-29―ホームページ『ほっと石川旅ねっと』(石川県観光連盟)「鹿渡島観音」場所観音島/七尾市鵜浦町地図へ104