タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

神社等七尾里山里海百景087拝殿随神社地は小丸山にあったが、畠山氏の尊崇が厚かった。中世は、守護の吉見氏、という。入ってから名付けられた國玉比古神社は、近世にた。現在の社名、能登生ぐ宮う」と称するようになっる古社として、「神社の本つ宮だと氣けい多たわほ本んれもとみや当社は、能登一の宮氣多創祀された。そのため、大己貴神を主神として、素盞鳴神、神を分霊し、氣多神社(氣多大社)がおおなむちのかみすさのおのかみしまれている。崇神天皇の時代、羽咋郡竹津浦に祭すじん称「氣多本宮」「本宮さん」として親けたほんぐう鎮守社で、孝元天皇のこうげん創祀と伝わる。そうし七尾市所口町に鎮座する神社で、通奇稲田姫神を祀っていくしいなだひめのかみる。七尾西部の能登一の宮氣多大社の本宮、古社の趣がある七尾西部の鎮守社能登生國玉比古神社(氣多本宮)のといくくにたまひこじんじゃけたほんぐう随神が安置されている。また、拝殿は続く、随神門には大きな目を見開いた菅原神社道を行くと石の太鼓橋があり、それに感じられる。南側の鳥居をくぐって参広い境内は木々が茂り、古社の趣がてて神事が執り行われている。おすずみ)」では、三島町に仮宮を建われる納涼祭、「夏越しの祭り(西の山奉弊祭(ちょんこ山)」や7月に行進された。そのため、春祭りである「曳たので、現在の地に移転し、社領を寄前田利家がここの地に新しく城を築い鳥居(南側)境内にある石の太鼓橋社殿内は厳かな雰囲気が漂うれる。いで祭」の神輿が到着し、祭典が行わ夕刻には氣多神社の(新嘗祭)、3月21日くにむけまつり平国祭、通常、「おには祈年祭があり、月13日に秋祭、12月13日には鵜祭りしの祭り(西のおすずみ)」の他、9「曳山奉弊祭(ちょんこ山)」、「夏越来は不明である。弾のようなものが転がっているが、由いる。境内にある菅原神社の前には砲なっており、見どころの一つとなって千鳥破風、唐破風付きの豪華な作りに103参考文献―書籍『新修七尾市史15通史編Ⅱ』(七尾市)「寺社と信仰」P 517『書府太郎上巻』(北國新聞社)P 684―ホームページ『石川県神社庁』「能登生国玉比古神社」場所能登生國玉比古神社(氣多本宮)/七尾市所口町ハ48地図へ