タイトル:七尾里山里海百景

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概要

七尾湾を中心とした豊富な資源から漁師町としても栄え、また能登らしい固有の農業文化も育み守られてきた、七尾市の里山里海の百の景色を紹介する電子ブックです。

5月4日大地主神社に3町の「でか山」が揃う大社などと称され、守山王社、能府地主山王古くはたといわの能うれ府ふると地こ。ぬ主し日吉青柏祭に曳山を奉納し473)、畠山その後、文明5よ義し年む統ね(が1、能登国の守護神としてかんじょう勧請(神仏の来典、のちの青柏祭を修行したと伝わる。創建は奈良時代の養老2年(718)、初めて4月の申の日(5月14日)の祭さるある。国司である源みなもとのしたごう順が社殿を再建し、さん」と称して親しまれている神社で年間(978?983年)に、能登の七尾市山王町に位置し、通称「山王臨を願うこと)された社である。天元前田利家が古格の祭礼を再興、能登を代表する大祭「青柏祭」の社大地主神社(山王神社)おおとこぬしじんじゃさんのうじんじゃ神社等七尾里山里海百景086月第2土曜日に祇園祭、4月15日に春祭り。7現造りとなっている。のほかの祭礼としては、奥に、神明造りの本殿・神殿が続く権けて行われている。そ風ふの入母屋造りとなった。その拝殿の5月3日から5日にかには銅板が葺かれ、千鳥破風に大型連休を利用して、に建てられたものである。拝殿の軒きのか唐ら屋破は根が、現在は5月初めの現在の社殿は大正2年(1913)14日に催行されていた祭が行われている。青柏祭は、本来5月10月14日に秋祭り、11月15日には赤柏鳥居る。いる青柏祭であ現在も行われてする大祭として、れが能登を代表られている。こり行われたとみ古格の祭礼が執こかく殿を再建すると、に前田利家が社10年(1582)その後、天正れた。代に一時中絶さわるが、戦国時われていたと伝式ある祭典が行崇敬が厚く、格護や領主からの千鳥破風・軒唐破風を用いた入母屋造りの拝殿参考文献―書籍『新修七尾市史15通史編Ⅱ』(七尾市)「寺社と信仰」P 521『書府太郎上巻』(北國新聞社)P 621―ホームページ『石川県神社庁』「大地主神社」場所大地主神社/七尾市山王町1-13地図へ102