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更新日:2018年8月3日

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第二能登丸に起きた悲劇

戦後から73年が経ち、戦争の記憶を語り継ぐ人が次第に減っています。広島や長崎に原子爆弾が投下され、多くの人が犠牲になったことが学校の授業やテレビなどで取り上げられる一方で、直接的な戦争被害がほとんどないと記録されている七尾でも悲しい事件が起こっていたことを知っていますか。

戦時中、七尾港には軍需品や食料が運び込まれていました。米軍はそれを防ぐため、1945(昭和20)年5月25日から終戦までの間に機雷約440個を七尾湾に投下。機雷とは、水中や水上に設置され、船が触れると爆発する爆弾で、終戦後も湾内に残っていたため、七尾湾を移動する貨物船が接触する事故が多発していました。

1945(昭和20)年8月28日、第二能登丸は七尾港を出発し能登島に向かいました。船には七尾港に勤労動員で働きに来ていた人や七尾に出掛けていた人などが帰宅するため、約50人が乗っていたと推測されています。船は能登島の久美(佐波町)に到着し一部の人を降ろした後、残りの人たちを乗せて三室や野崎、日出ケ島へ向かいました。機雷を避けようと遠回りをして佐波沖の寺島の近くを通った時、第二能登丸は機雷に接触。ドドーンという大きな音とともに40メートルの水柱が上がり、目撃した人の話では、空中に放り上げられた人が水面に叩きつけられて、とても見ていられる状況ではなかったそうです。船は沈み、海に落ちた人は、船の破片にしがみついたり自力で泳いだりして必死に助かろうとしました。事故を見た佐波の人たちが船を救助に出しましたが、船長を含む28人が犠牲に。助けられた人は海岸に敷かれたむしろに寝かされ、佐波の人から手当てを受けたりおかゆをもらったりしました。

軍隊に所属している軍属であれば遺族は軍人恩給が受けられますが、第二能登丸事件で亡くなった、軍属でなかった人の遺族には経済的支援はありませんでした。

この事件は、当時終戦直後の混乱期であったことから報道管制が敷かれ、新聞などで取り上げられることはなく、市内の人にもあまり知られていないまま現在に至っています。事件に関する資料はほとんど残されておらず、1983(昭和58)年から石川県教職員組合七尾支部が始めた聞き取り調査によって、事件の全容が明らかになりました。

資料提供 角三 外弘(かくみ そとひろ)

遺族が受けた悲しみ

永遠の別れになるとは思わなかった
山本 キミさん

第二能登丸事件で父ちゃん(夫)を亡くしました。事件の日の朝、戦争が終わっても少しでもお国の役に立とうと鵜浦から勤労動員に出る父ちゃんを「気を付けて行ってこいね」と送り出したのを今でも覚えています。夕方に爆音が聞こえて「船がやられた」と知らせが入っても、まさか父ちゃんが亡くなるとは思いもしませんでした。地域の人が総出で船に乗っていた人を探しましたが、父ちゃんの遺体が見つかったのは5日ほど経ってから。3人の子どもと私とお腹にいた赤ちゃんを残して父ちゃんはいなくなりました。

鵜浦は亡くなった人が多かったので、葬式があちらこちらで執り行われて棺桶が手に入らず、兄弟に作ってもらいました。長く水に浸かっていた父ちゃんの体は大きく膨らんでいて入りきらないほどでした。そんな父ちゃんの最期に涙が止まりませんでした。

戦争に両親を奪われた
岩崎 真紀子さん

私が3歳に満たない頃、父が戦死し母と2人で鵜浦の母の実家で生活していた時、実家に割り当てられていた勤労動員を母が引き受け、私を預けて出掛けました。事件当日、縁側でうたた寝をしていると出掛けたはずの母が私を呼ぶ声が聞こえ、目を開けると窓に母の顔が映って見えました。事故が起きた瞬間に、置いて行った私のことが心配で最期に会いに来たのかもしれません。

その後、母の実家で育てられることになりましたが、貧しくて小学校生活にかかる費用が出せなかったり、「親なし、親なし」と棒を持って追い掛けられ、いじめられたりもしました。結婚して長男が生まれた後も、栄養が足りず母乳が出なくなって苦労し、両親を失くしてからのことは、思い返すと今でも涙が出てくるほど辛かったです。戦争がなかったらこんな思いをしなくて済んだのにと何度も思いました。

未来へ伝えたいこと

元教諭 角三 外弘(かくみ そとひろ)さん

教え子に戦時中の七尾を知ってもらおうとしたことがきっかけで、これまで第二能登丸事件を調査してきました。地元で起こった戦争を知ることは、戦争を身近に感じるという点でとても大切なことです。七尾で機雷が落とされただけでもこんなに大変なのだから、原爆が落とされた広島や長崎はどれだけ悲惨だったのだろうと理解することにもつながります。そしてそこから平和の尊さを考えることができると期待しています。

大切なのは知ること。戦争をしようとする人は相手をだまそうとする人です。今はインターネットですぐ情報を手に入れることができるけど、本当に正しい情報なのか。本を読んだり実際に足を運んだりしてじっくり考え、事実をしっかり見極めてだまされない人になってほしいですね。

平和展

日時
8月10日(金曜日)まで
午前9時から午後6時30分(最終日は午後3時まで)

場所
パトリア4階 フォーラム七尾(入場無料)

展示案内
「サダコと折り鶴」ポスター展示、小中学生の作品展示、DVDの上映、「平和の折り鶴」制作コーナー、平和へのメッセージコーナーなど

「被爆体験記朗読会」も開催

 日時:8月5日(日曜日)午後2時から午後3時(申込不要)

問い合わせ先

総務課
電話番号:53-1111

お問い合わせ

所属課室:企画振興部広報広聴課

〒926-8611石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8423

ファクス番号:0767-52-0374

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