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更新日:2016年12月20日

和倉温泉

大同年間(806~810)に薬師谷の西方湯谷で温泉が噴出したが、永承年間(1046~53)に大地震があり、泉源が海中に移ったと伝承される。七尾城主能登畠山氏が泉源を石で囲んで湯船にして七尾に取湯したとか、慶長16年(1611)には加賀藩主前田利長の腫物治療に効き目があると越中商人が進言したとの伝承もある(「国田文書」『和倉土筆』)。また、前田利家が鷹狩に来遊の際、海上に泡立つのをみつけ、同行の孫十郎が温泉と見立てて二美湾荘和倉図間四方の石島を築き、以来同人が温泉を支配することになったという(「和倉温泉裁許一件」加越能文庫「所口支配向留記」)。温泉利用の増加に伴って湯島を広げ、寛永11年(1634)からは運上銀を差出すこととなった。承応2年(1653)には庄五郎と名乗る孫十郎の子孫が金沢から七尾へ引越したとされる。同3年からは湯役70目を定められ、七尾・府中両町小物成に組み込まれた(「七尾町旧記」)。明暦2年(1656)に和倉村の百姓家数は七軒で「涌浦涌浦と家なら七つ、島に湯が出にゃ誰行こや」と里人にうたわれたようにわびしい所であったが、宝暦年間(1751~64)の初めから加賀・越中方面からの湯治客で賑わい、宿が不足する有様であった。加賀藩の十村役を務めた真舘家の古文書には、その頃上宿・中宿の格付けがあったものの、いたって粗末で「下賤之者之儀は和倉村に止宿」するが、身分の高い侍などは所口町に逗留して湯を取り寄せて湯治していたと、記されている。安永2年(1773)の記録(「旧記等抜書」)によると、温泉の湯坪は七十間ほど沖合の石築島にあり、湯治客は手舟に乗って通い、入浴賃は1人出入九日で40文。数年平均の入浴客800人ほど。ほかに湯の販売があり、舟一艘分(桶・樽数にかかわらず)130文、陸上運搬の場合は1樽(1升入・1斗とも)につき、16文であった。化政期になると湯治場の整備が進み、浴室が建ち、宿々から湯島まで橋も架かった(「能登遊記」)。文政11年(1828)刊の十返舎一九「金草鞋」には、「湯宿数多、いづれも大家にてなまめきたる婦女ども湯治する人に興を添へて酒色乏しからず、至って繁昌の温泉なり」と紹介されている。湯の販売・入浴方法は湯番頭和倉庄五郎が権限を握っており、徴収方法や村方との配分、湯ざや、湯壷の維持・修理費の負担区分などで村方と紛争が絶えなかった。明治5年(1872)、村方は庄五郎に生活費として二千貫文を渡し、以後一切の温泉業務から手を切らせた(「義定書」和倉温泉合資会社所蔵)。温泉独立の記念碑には「面のにくいやつァ小島の湯番徒うみへけこめや二十日のやみにあげるふりしてまたけこめ」の里謡が刻まれる。

【和倉温泉街絵図(部分)は美湾荘所蔵】

江戸時代の和倉温泉

  • 寛文十年(1670)涌浦村村御印(和倉温泉合資会社所蔵)村御印

村御印は、加賀藩内に出された各村の草高とそれに対する税を書き記したもの。石高を改めて寛文十年に再発行されたものが多く残されている。各村の産物(小物成)も記されており、当時の村の概要を知る史料として貴重である。

天明元年(1781)和倉温泉書上(PDF:82KB)

  • 江戸時代の和倉温泉の様子について、武部村(現中能登町)の十村真舘家が書き記したもの。

 

  • 明治5年(1872)和倉温泉義定書(和倉温泉合資会社所蔵)義定書2

江戸時代、和倉温泉の経営権は七尾松本町の上村少五郎が持っていた。この権利を明治五年に取り戻した際の確約書が義定書である。和倉村から少五郎に二千貫文を渡して、今後一切和倉温泉の経営に携わらないことを約束している。奥書には七尾県庁(税務課)がこれを認可している。

 

皇族の行幸・行啓

皇族の七尾市(和倉温泉)ご訪問は明治42年(1909)9月に東宮殿下(のちの大正天皇)が行啓されたのが最初である。それ以後、来訪された皇族方は高松宮殿下・常陸宮殿下などと多い。昭和天皇の行幸は昭和22年(1947)10月第2回国民体育大会、昭和33年(1958)10月富山国体の際に七尾・奥能登ご視察際、昭和58年(1983)全国植樹祭、現在の天皇は平成4年(1992)10月の第46回国体でご訪問されている。

行啓葉書1行啓葉書3

明治42年東宮殿下行啓を記念して作られた葉書2種(左の絵葉書には丁子をあしらった旧七尾町の町章がみられる。)

行啓1行啓2

(左は東宮殿下〈後の大正天皇〉が七尾町一本杉通りを進む景。右は護衛艦「生駒」が七尾湾に待機する景。)

和倉温泉駅

大正14年(1925)に建設された和倉駅は、駅前の拡張整備を期に昭和55年(1980)7月7日に改築され、その際に「和倉温泉駅」と改名された。この和倉駅の設置に伴い、矢田郷(現在の本府中町)に設置されていた七尾駅が駅舎を現在地に移転することとなる。そのため七尾駅に入る線路は大きくカーブし、当時はよく脱線する汽車がみられた。和倉駅

和倉温泉駅正面

(開通当時の和倉仮停車場。左がホーム、右が正面。)

越田屋

(「金沢・和倉間鉄道開通記念」のスタンプが押された越田館の絵葉書。大正14年12月15日の日付がみられる。)

和倉温泉観光ポスターのあゆみ

和倉温泉観光協会にて「創立40周年記念誌」の中にわくら観光ポスターの変遷があり、中には七尾市出身の横綱「輪島関」や佐渡の小木港と就航していたホバークラフトなど時代を感じさせるものが見られる。

わくら観光ポスター(PDF:9,821KB)

和倉温泉海岸線の移り変わり

 

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お問い合わせ

所属課室:教育委員会文化課

石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8437

ファクス番号:0767-52-5194

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